夫の愛情の深さに、亡くなってから気付く
――一度離婚した後、同じ方と再婚されていますね。
夫は愛人を家に連れてきたりして、本当にハチャメチャで能天気な人でした。
あまりにしんどくて、私の体重が30kg台まで落ちたこともあります。
それが原因で離婚したんですけど、"お父さん子"だった次女が、登校拒否になってしまったんです。
仕方なく、別れた夫に泊まりに来てもらったら、真ん中に寝た娘が、私と夫の手を、おなかの上で繋ごうとするんです。
その気持ちを考えたら、堪らなくなりました。
さらに、夫に喉頭がんの疑いが見つかり、入院中の世話をする人もいなかったので、子どもたちの希望もあり再婚しました。
夫と最初に入籍したのは1973年のバレンタインデーだったので、今年でちょうど50年。
その直後の2月20日に91歳で亡くなりましたが、すごくキザな人で、病院に面会に行くたび、「愛してる」と平気で口にしたり、ラブレターを書いたりするんです。
恥ずかしくて「やめて」と言ったんですけど、亡くなった後、夫の愛情の深さに気付きました。
いま思えば、私も「愛してる」と言ってあげればよかったですね。
――ご家族に対するいまの思いをお聞かせください。
長男も思春期には暴走族に入って荒れたこともありますが、いまは立派に有名ホテルの総料理長を務め、長女も大きな病院の看護部長、次女も尊敬する姉の後をついで看護師として緩和ケアの現場で働いています。
私は後妻なので、血の繋がらない孫やひ孫もいて、普通の家族とは少し違うかもしれませんが、バラエティーに富んだ楽しい家族です。
私自身も子宮がんや脳梗塞など、いろんな病気を経験しましたが、「白川さんは存在感がある」と言ってもらえるのは、そういう波瀾万丈の人生があったからなんだなと。
「役を演じる」のではなく、出てきた瞬間に画になる。
それは、自分が生きてきた人生の全てが反映された財産のような気がするんです。
そう考えると、結婚するときはみんなに反対されましたが、私が女優を続けられたのは、夫のおかげかもしれません。
今後も同年代の代表として女優を続けていきたいですが、いま思っているのは、「生涯前進」です。
1ミリずつでもいいから、前に進んでいきたい。
昔はウサギのように走っていましたけど、いまはゆっくり亀の歩みでもいい。
器用な人はもっと上手に生きるんでしょうけど、不器用な私には、こんな生き方しかできませんから。
取材・文/井上健一 撮影/齋藤ジン