10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断された岩野響さん。中学校に通えなくなったのをきっかけに、あえて進学しない道を選んだ15歳の「生きる道探し」とは?
著書『15歳のコーヒー屋さん』を通じて、今話題のコーヒー焙煎士・岩野響さんの言葉に耳を傾けてみましょう。
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じつは小学校低学年のときから、
隠れてコーヒーを飲んでいました
ぼくは覚えていないのですが、母が言うには、小学校の低学年の頃からコーヒーが好きだったみたいです。
コーヒーはカフェインが強いので、両親はあまり飲ませたくなかったのに、ぼくは隠れて飲んでいたとか。いまはブラックで飲みますが、その頃はミルクコーヒーが好きで、自分でミルクを沸かして、そこにインスタントコーヒーを入れて飲んだり、母が淹れて飲んでいたドリップコーヒーを内緒でこっそり飲んでいたりしたそうです。
小学校の高学年の頃には、喫茶店に興味を持ちはじめました。桐生に50年くらいの歴史がある喫茶店があり、すっかりそこの常連になりました。いまはもう、その喫茶店は閉店してしまいましたが、おじさんたちにまじって一緒にモーニングコーヒーを飲んでいました。
ぼくはコーヒーの味も好きですが、コーヒーをとりまく文化のようなものにもっと興味があります。昔ながらの喫茶店が好きで、コーヒーの味にも、それぞれのお店の個性が出ていてそこがおもしろいし、そこで繰り広げられる人間模様というか、お客さんたちのやりとりを眺めているだけでも、喫茶店は奥深いなぁと思ってしまうのです。
だから画一化されたチェーン系のカフェよりも、喫茶店!淹れ方しだいで味が変わるコーヒーの醍醐味(だいごみ)は、喫茶店のほうがおもしろく感じます。
桐生市内だけにとどまらず、各地にあるコーヒーの名店には、両親と一緒にあちこち訪れています。
おいしいコーヒーに出会うと、本当に感動します。ぼくが好きなことにとことん付き合ってくれる両親にも感謝しています。
焙煎を通じて自信を取り戻す
一般的に、コーヒーに関わる仕事をしたいと思ったら、コーヒーショップに入ってアルバイトなどで働きながらコーヒーのことを学ぶ、焙煎の師匠を持って教えてもらうといった方法をとるのだと思います。
でも、ぼくはどこかに勤めるわけではなく、独学でやってきて、お店をオープンしてしまいました。ぼくは集団が苦手で、人のペースに合わせることも難しいので、どこかに勤務するのでなく、まずは自分のペースで働くことから始めることにしたのです。それができたのは、両親をはじめ周囲のサポートがあってのことで、とても恵まれていると思っています。
ぼくは小さい頃からできないことだらけで、先生たちには怒られることばかりでした。
中学に入り、いよいよ学校に行くのが難しくなった頃には、宿題も運動もほとんどのことができなかったので、「ぼくはもう、何もできないんじゃないか」と、すっかり自信を失っていました。
でも、コーヒーがそんなぼくに自信を取り戻させてくれました。
ぼくが焙煎したコーヒーをたくさんの人が飲んでくれて、「おいしい」と言ってくださることは、何よりの自信につながります。そして、ぼくがぼくらしいままで、好きなことをしながら、毎日を過ごせることを幸せに思います。
最近のぼくは、いろいろな面でだんだんと自信が持てるようになり、その分、生きやすくなったと思っています。
前より、ちょっと堂々と生きられるようになった感じで、周囲の人との関わり方も変わってきました。
撮影/木村直軌
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岩野 響(いわの・ひびき)
2002年生まれ。群馬県桐生市在住。10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断される。中学生で学校に行けなくなったのをきっかけに、あえて高校に進学しない道を選び、料理やコーヒー焙煎、写真など、さまざまな「できること」を追求していく。2017年4月、自宅敷地内に「HORIZON LABO」をオープン。幼い頃から調味料を替えたのがわかるほどの鋭い味覚、嗅覚を生かし、自ら焙煎したコーヒー豆の販売を行ったところ、そのコーヒーの味わいや生き方が全国で話題となる(現在、直販は休止)。
『15歳のコーヒー屋さん』
(岩野 響/KADOKAWA)現在、15歳のコーヒー焙煎士として、メディアで注目されている岩野響さん。10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断され、中学校に通えなくなったのをきっかけに、あえて進学せずコーヒー焙煎士の道を選びました。ご両親のインタビューとともに、精神科医・星野仁彦先生の解説も掲載。