60歳を過ぎて乳がんに。直木賞作家・篠田節子さんが語る「がんとの付き合い方」

20年以上にわたり母の介護を続けてきた作家の篠田節子さん。
そんな折、今度は自分が乳がんに。
その体験から生まれた最新エッセイ『介護のうしろから「がん」が来た!』は、乳がん治療に関する情報がリアルに、ときにユーモアを交えて記されています。
闘病や介護について、リアルにお伺いしました。

60歳を過ぎて乳がんに。直木賞作家・篠田節子さんが語る「がんとの付き合い方」 P83_篠田節子_本画像.jpg想像とまったく違った
がんは治る病気

――最新エッセイ『介護のうしろから「がん」が来た!』は、いわゆる闘病記とはだいぶ様相が異なりますね?

そうですね。実は、自分が乳がんになってみたら、想像していたことと全然違ったんですよ。

以前、『スターバト・マーテル』という小説の中で、乳がんの女性を描いたことがあります。
その中で、彼女は乳房温存という手術を受け、術後の見た目もほとんど変わらないのだけど、それを機に、再発におびえ、死を意識して悲観的に生きていくんです。

でも、実際に自分が乳がんになってみて、乳房温存どころか乳房を切除してもこんなもんですかと。
診断、手術、その後の外来の診療まで、治療は計画的・実務的に進んでいきます。
その辺は、普通の病気とまったく同じ。
がんというと、死を意識するようなイメージが私自身もありましたが、実際はかなり違ったので、現在の治療や手術について克明に記録して、がんと診断されただけで落ち込む必要はないと、同じ境遇の方々に知ってほしかったのです。

――がんがある方の乳房を全摘するとともに、乳房再建の手術もされたのですよね?

はじめは、「形が悪くなってもいいから、なんとか温存で」という気持ちがありました。
60歳過ぎて、誰に見せるわけでもないけれど、なんとなく抵抗があったんです。
でも、先生から、私の場合、温存では取り切れない不安があり、すすめられないと言われて腹をくくりました。
ただ、その場で全摘した後の選択も求められたのは予想外でした。
再建するか、そのままでいくか。
再建するならば、切除手術と同時に、再建のための事前処置が必要だからとのことでした。

「片方なくなったら、水着を着るときはパッドを入れなければいけない(篠田さんの趣味は水泳)。でも、泳いでいるときにそれが外れて、プールにフワフワと浮かんでしまうなんてことになったら? それならいっそ皮膚の下に埋め込んでしまった方が...」と、迷っているうちに先生が、「再建するのであれば、形成外科の先生との面談日を押さえます」と。

それが最後の一押しとなり、「はいっ、お願いします、再建します」と頭を下げていました。

水泳を続けることで乳房再建後も経過良好

――乳房再建手術を受けた後は、特別な治療やケアは必要となるのでしょうか?

乳房再建をした人は、手術をした周りの筋肉が硬くなることを避けるためにマッサージをすると聞いていたのですが、いまのところ担当の先生からはそういった指導は受けていません。
ただ、診察のときに「泳いでますか?」と聞かれるので、「泳いでます」と。
どうやら水泳で行う腕の動きが良いみたいで、続けるように言われています。
マッサージの代わりになっているのかもしれません。

乳房再建したことで良かったのは、とにかく着たり脱いだりといった普段の行動がラクなこと。
再建していなかったら、日々、パッドを入れたり出したり、洗ったり、といった手間がかかることでしょう。
中心部がないので、裸になったら一目で分かりますが、洋服を着ていればまったく分かりませんし、ファッションでの制約はありません。水着だって、いままでと同じ物を着て泳いでいます。

――現在も、治療は続いているのでしょうか?

乳がんの治療自体はずっと続いていくのですが、体の調子はばっちりです。
がんがある右側(の乳房)は取ったけれど、左側に罹患することもけっこう多いですし、全摘したといってもまたどこかから再発しないとはかぎらないので、3カ月に1度通院して経過観察しています。
治療自体は、抗がん剤はなし、全摘したので放射線治療もなし、乳がんの引き金になる女性ホルモンを抑えるための薬だけは飲み続けています。

体の違和感に気付いて向き合うことが大切

――がんだと分かったのは、症状がでてからのことでしたが、それまでがんの検査を受けたことはありましたか?

ここ2~3年ほど検査をさぼっていたのですが、それまでがん検診は受けていました。
しかし、マンモグラフィ検査にも写らなかったし、触診でも見つからなかったですね。
症状がでて診断を受けたときには、すでに3~4年ぐらいはたっていると言われました。
実は、診断の半年ぐらい前に、はっきりとした痛みを自覚したことがあったんです。
でも、がんで痛いなんてことはないだろうと思って放置していました。
だからこそ思うのは、体の違和感には気を付けておいた方が良いということですね。
たとえ1年に1度検査を受けていたとしても、それで大丈夫ではなくて、乳がんに関しては、日頃から自分で触って、確かめておくこと、お風呂に入ったときに洗いながら、いつもとどこか違うところがないか確認しておくことが大切だそうです。
違和感があったら病院で相談することをおすすめします。

――病気の後、健康のために行っていることはありますか?

特に何もやっていないんですよ(笑)。
でも、もともと食事には気を付けている方で、野菜の量も多くて、バランスよく食べています。
ただ、ホルモン剤で女性ホルモンを抑えているので、更年期障害のような症状がでてくるため、それを避けるために毎日大豆は摂っています。
特に手がかかるものとか、高級なものとかではなく、普通の豆腐と納豆を食べています。
運動は水泳を週2回、1回1時間のレッスンを受けています。
おかげで、病気をして落ちた体力もすっかり戻りましたね。

退院から20日で海外へリゾートを満喫!

――手術後まもなく海外旅行をされていますが、長時間の移動など、旅することでの不安はなかったのでしょうか?

長年、海外に行きたい、行きたいと思いながらも、母の介護をしている間は泊まりがけの旅行となると難しくて。
でも母が介護老人保健施設(老健)に入り、「これで旅行に行ける!」と思った途端、がんが発覚。
まさに「ガーン」ですよ(笑)。
でも、先生に聞いたら「大丈夫ですよ」と言われたので、退院から20日でバンコクへ行きました。
がんというと、余命を宣告されて、残された時間で好きなことをやりましょう、みたいな話も耳にしますが、実際は「これはOK」「これはダメ」という医療上の判断があって、リゾートホテルでのんびりするだけという条件で、手術後まもなくの旅が叶いました。
がんになった後は、もう何もできないなんてことはないんです。

密室化しないことが介護を続けるコツ

――治療中も含め、長年、お母様の介護を続けられてきました。現在、介護をされている読者に、介護をする際のアドバイスをいただけますか?

母はグループホームに入所後、現在は精神科病院の認知症病棟でお世話になっています。
グループホームは空きがなくて、入所は大変ですが、悩む前に足を運ぶのがいちばん。
とにかく、飛び込みセールスのようにひたすら見学に行く。
ケアマネージャーさんがいれば相談に乗ってもらう。
介護をする側は、家族だけでみようとしないこと。
周囲におおっぴらに話しておくと、いろいろな情報が集まってきます。
密室化しないことが、共倒れを防ぐカギですね。

60歳を過ぎて乳がんに。直木賞作家・篠田節子さんが語る「がんとの付き合い方」 P85_篠田節子_本画像.jpg介護をしている人は、友人やご近所さんなど、気軽に何でも話せる関係を作っておくといい。
電話でもメールでもいいんですよ


取材・文/笑(寳田真由美) 撮影/西山輝彦 

 

篠田節子(しのだ・せつこ)さん

1955年、東京都生まれ。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。97年『ゴサインターンー神の座ー』で山本周五郎賞、『女性たちのジハード』で直木賞、2019年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞、その他受賞歴多数。『長女たち』『肖像彫刻家』など著書多数。

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『介護のうしろから「がん」が来た!』

(著:篠田節子/集英社)

直木賞作家・篠田節子が綴るふんだりけったり、ちょっとトホホな闘病&介護エッセイ。介護と執筆の合間に、治療法リサーチに病院選び…落ち込んでる暇なんてない! 乳房再建手術を担当した聖路加国際病院・ブレストセンター形成外科医との対談も収録。

この記事は『毎日が発見』2020年2月号に掲載の情報です。

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