2030年には「男性が3人に1人、女性が4人に1人」が生涯孤独時代を迎えると言われています。数値だけを見ると「孤独=不幸」が刷り込まれてしまいます。幸福学博士・前野隆司さんの著書『幸せな孤独 「幸福学博士」が教える「孤独」を幸せに変える方法』(アスコム)から、幸せな孤独を実現する方法をご紹介します。
独りは悪くない、問題なのは「孤独感」
孤独でも幸せに生きている人に共通していることは、独りでいることに「苦痛を感じていない」し、「孤立している」とも思っていないということです。
独りでいることをネガティブにとらえてしまうのは、その状態に「私は独りぼっちである」「私には心が通じ合う人が誰もいない」「私には精神的によりどころになる人がいない」「誰からも必要とされていない」など、不快で苦痛となる感情が生まれているからです。
こうした一連の感情を「孤独感」と呼びます。
孤独ではなく「孤独感」です。
この2つは学術的には同一視されることもありますが、区別しようと思います。
孤独とは、自身の周囲に人が少ない状態を指します。
たとえば、パートナーがいない、友人や知人が少ない、仕事関係やご近所での付き合いも少ないといった状態が当てはまるでしょう。
それに対し「孤独感」とは、あくまで本人の感じ方です。
まわりに人が多い、少ないにかかわらず、「頼りになる人がいない、心の通じ合う人がいない、疎外感を感じている、誰からも必要とされていない」という主観的な感覚のことです。
そのため、一見すると多くの人に囲まれて暮らしているように見える人でも、「孤独感」を抱えて、苦しみながら生きている人がいるわけです。
この孤独感を、英語で表現すると「ロンリネス」です。
孤独をロンリネスと訳されることもありますが、必ずしも「孤独=ロンリネス」とは限りません。
孤独でも幸せな人はいくらでもいます。
孤独感は主観的なものですから、同じ状況や環境でも大きく個人差があります。
それが、孤独なまま、幸せを手に入れられるかどうかの違いでもあります。
たとえば、Aさんのように長く独り身でも孤独を感じない人もいれば、独り身であることに絶望感を覚える人もいます。
家族やパートナーと一緒に暮らしていて幸せそうに見えても、孤独感にさいなまれている人もいます。
その違いは「孤独感」の有無にあるといって良いでしょう。
幸せを遠ざけているのは、物理的に独りであっても、そうでなくても、心に巣くう孤独感なのです。
もちろん、孤独感をまったく感じたことがないという人はほとんどいないと思います。
なぜなら、孤独感は、人間が持っている生存本能ともいえるものだからです。
はるか昔、二足歩行を始めた頃の人類は、肉食獣から身を守るために群れで行動するしかありませんでした。
群れからはぐれることは死を意味していたため、「孤独を恐れる感情」が生まれたのではないかといわれています。
孤独感は、脳に危険を知らせるメッセージだったのかもしれません。
どんな人でも、人とのかかわりの中で生きていると、「反対された」「意見された」「無視された」「批判された」「理解してもらえなかった」「仲良くしてもらえなかった」などの場面に遭遇すると、孤独感を覚えることはあります。
実のところ、物理的な孤独(独り身)から生まれる孤独感より、こうした他者との関係性から生まれる孤独感のほうが多いといいます。
これもまた主観なので、受け取り方には個人差があるのですが、他者との関係性から生まれた孤独感は、人によって大きなダメージとして残ることがあります。
孤独感が幸せを遠ざけるのは、その感情が長く続くと、自分を受け入れることをあきらめ、自信を失い、ものごとを悲観的にとらえるようになり、やがて孤独感から抜け出す気力まで失くしてしまうからです。
「セルフネグレスト」と呼ばれる、自身の置かれた環境を改善しようという意欲をなくしてしまう状況に陥り、自分を粗末にする生き方になってしまうのです。
友だちが多いのに孤独を感じる人がいるのはなぜなのか?
孤独が社会問題として取り上げられるときに多いのが、高齢者の独り暮らしと、その予備群といわれる中高年の男性です。
しかし、孤独感を抱える人たちに年齢や性別の特徴があるわけではありません。
若者たちにも、孤独に悩む人は増えてきています。
コロナ禍で緊急事態宣言が発せられていたときに、公園やコンビニエンスストアの前、駅などで地面に座り、缶入りのアルコール飲料を片手に外飲みしている若者たちがメディアに取り上げられることがありました。
あの現象は、孤独感による寂しさに耐えられなくなったからではないかと思います。
2021年5月に、野村総合研究所が2200人を対象に行ったアンケート調査によると、20代男性の52・9%、女性の56・8%が孤独を感じているとの結果が出ました。
この割合は、上の世代よりも多いものでした。
私の研究室で実施した調査では、新入社員1年目、2年目の人が、ほかのキャリアの長い人たちと比べて、孤独感が強いという結果も出ています。
会社で働くことに対して具体的なイメージがわかなくて、強い不安感を覚えているようです。
特にコロナ禍の中で、テレワークという働き方から社会人としてスタートした人たちは、身近な同僚、先輩、上司などに相談する術もよくわからなくて、承認欲求が満たされていないのです。
産業能率大学が行った調査では、年代に関係なく、職場で孤独を感じることがあると答えた人が約6割いたといいます。
孤独感は、すぐ側にあるということでしょう。
世の中には、友だちが多くても孤独を感じている人もいます。
実は、友だちが多いかどうかよりも、多様な友だちがいることのほうが幸せに影響します。
私が行った研究で、「親密な他者との社会的なつながりの多様性と接触の頻度が高い人は主観的幸福が高い傾向がある一方、つながりの数は多様性ほどには主観的幸福に関係しない」ということが明らかになりました。
簡単に言ってしまうと、たくさんの友だちがいる人より、多様な友だちがいる人のほうが幸せだということです。
多様な友だちとは、自分とは異なる年代、異なる職業、異なる国籍などです。
多様だから幸せになるのか、幸せになると多様な友だちができるのか、どちらが原因でどちらが結果なのかはっきりとは解明されていませんが、多様なほうがいろいろな場面で助けになってくれるのかもしれないし、多様なほうが人生を豊かにしてくれるのかもしれません。
「孤独感」とは真逆にある「幸せな孤独」
孤独を表現する英語には、「ロンリネス」以外に、「ソリチュード」という言葉があります。
孤独が2種類あるのです。
先ほど話したようにロンリネスは正確には「孤独感」と訳されるべきでしょう。
では、ソリチュードとは何か?
独りの状態である、という点ではロンリネスと同様です。
しかし、ロンリネスが苦痛や不安、寂しさを招くのに対し、ソリチュードは独りの状態をむしろ前向きにとらえ、精神的に自立し、自分だけの時間を過ごすことに喜びと楽しみを感じている状態を指します。
「ソリチュード」はこれまで「孤高」または「孤立」と訳されることが多かったようです。
ただし、孤高というと、日本語では、何かを極めようとする求道者のようなイメージを持つ方もいるかもしれません。
孤立も、別のニュアンスを感じます。
私は、ソリチュードになるのに、何か人よりも特別な努力が必要だとは考えていません。
なぜなら、ロンリネスもソリチュードも感じ方の問題だからです。
先ほど申し上げたように孤独の苦しみは「心のクセ」が原因です。
「悪い心のクセ=ロンリネス」であり、「正しい心のクセ=ソリチュード」なのです。
私は、ソリチュードを「幸せな孤独」と表現するとわかりやすいのではないかと思い、本書ではこの表現を用います。
幸せな孤独の究極のかたちが「孤高」「孤立」かもしれませんが、そこまでハードルを上げなくても、幸せな孤独は実現できます。
人によりかからず、個性的で、自由に生きる。
素敵な人生こそが「幸せな孤独」です。
冒頭で紹介した、仕事のない日は自分が思うままに行動しているAさんも、油絵に没頭しながら、自分の時間を自由に使っているCさんも、「幸せな孤独」を実現している人と言ってもいいかもしれません。
人気テレビ番組の『孤独のグルメ』の主人公もそうでしょう。
貿易商の彼は、いつも独りでご飯を食べています。
しかも、自分のおなかの意思に素直に従い、お店を選び、メニューを選ぶ。
自由に食を楽しむ姿に、ついひきつけられてしまいます。
「幸せな孤独」は、自ら孤独であることを選んでいます。
独りでいることに不安を感じることはなく、独りでいることが好きなのです。
私も、どちらかというと、独りでいるのが好きなタイプです。
集団行動が苦手で、学生と一緒にゼミ合宿に出かけても、ふらふらとどこかに独りで出かけてしまいます。
もちろん、仕事で人と接することは多いのですが、放っておいてもらえるなら独りで過ごしたいと思っています。
独りを好むのは、中学生の頃からのことです。
昼休みにクラスのみんながサッカーで遊んでいるときに、私は、みんなの輪の中に入らないもう一人の子と2人で話しながら過ごしていました。
それでも小学生の頃は、無理にみんなと遊んでいました。
みんなと遊べない自分がおかしいのかな、と思った時期もあります。
でも、やりたくないことはやりたくない。
それで、みんなから離れてみたら心地よかった。
こうして静かに昼休みを過ごすのが自分にとっていいことだと思うと、グラウンドで楽しそうに遊んでいるみんなを見ても気にならなくなりました。
まさに、幸せな孤独です。
私は企業でのサラリーマン生活を9年経験しましたが、中学生の頃の昼休みと同じように最後まで馴染めませんでした。
一緒に働いている人たちが嫌いなのではなく、集団で行動するのがどうしても苦手だったのです。
私は、たまたま大学に転職することができて、研究者としての仕事に就くことができましたが、サラリーマンのなかには、私と同じような思いのまま続けている方はたくさんいると思います。
そういう方々に私が言えるのは、まわりと歩調を合わせられないことに孤独を感じる必要はないということです。
大学の教授、芸術家、アーティスト......、独りで黙々と何かを続けている人たちの多くは、自分をまわりに合わせる協調性があるようには見えないですよね。
人の目を気にすることなく、自分のやりたいことを極めようとしていますよね。
それらは、幸せな孤独の究極系といえる「孤高」なのでしょう。