こんにちは。山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を、
嫁の目線で綴り始めてもうすぐ10年になろうとしています。
前回の記事:義父がうつ病のトンネルを抜けたのは、長年連れ添った妻のピンチを救うためだった!?
義母が認知症を発症し、その窮地を救わんがため立ち上がった義父ですが、
今度はうつ病から躁状態に転じてしまいました。
それからというもの、みるみる活動的になったのですが、
同時に様々な問題行動を起こし始めたのです。
その中でも私達息子夫婦を特に悩ませたのは、各方面への電話攻勢でした。
かける相手は新聞社や放送局、スーパーや家電量販店、それから行政機関など。
理不尽な要求やクレームなど、そばで聞いても普通ではない様子で電話をかけている。
そんな場面を度々目にし、耳にするようになったのです。
出来ることなら電話を取れなくしたいところですが、当時はまだ杖すら必要がなく、身体の動きが自由だった義父です。
たとえ隠したとしてもすぐに見つけてしまいますし、一つ屋根の下で暮らしている私たちも電話がないのは困ります。
それに当時、義父は以前から携帯電話を所持していたので固定電話を隠したところで意味はありませんでした。
結局、よそ様に迷惑をかける義父の行動を見過ごすわけにはいかず、私は勤めていた洋食屋さんのパートを辞めることにしました。
そこから義父の行動を監視する毎日が始まったのですが、
たとえおかしな行動を見つけてとがめたとしても、高齢とはいえ男性である義父。
激高し、食ってかかられれば太刀打ちできるか分かりません。
足元が覚束ないとはいえ腕の力はまだまだ強く、その上一旦怒り出すと形相も変わってしまうのです。
後で思えば嫁のわたしに手を上げることは一度もなかったわけですが、当時は恐怖を感じることも多々で、遠巻きに見守ることが精一杯の毎日でした。
そんなある日、私が三男の高校の入学懇談会で家を留守にしたときのことです。
この日は次男が義父と留守番をしていてくれていたのですが、
説明会の最中、携帯に何度も次男から着信があったのです。
説明会が一段落してからかけなおすと
「じいちゃんと取っ組み合いのケンカになった。」と言うではありませんか。
「じいちゃんにケガをさせるといけないから急いで部屋に入って閉じこもったんだけど...。じじい、オレの部屋のドアノブ、ぶっ壊しやがった!!」
ケンカの原因は例のごとく。
新聞社に訳の分からない言いがかり電話をかけていた義父に気が付き、
見るに見かねて電話機を取り上げた次男。
するとカッとなった義父が次男に飛びかかって来た...と、そういう顛末だったらしいのです。
私はもちろん懇談会どころでなく、すぐに飛んで帰りましたが、
家に帰った頃には義父の熱も冷めており、
次男の対応のお蔭で、ケガもなく無事にケンカも収束しておりました。
やれやれ...と思ったものの相手が私だったらどうなっていたか?と、ゾッとする気持ちもありました。
義父の怒りにはいつ火がつくか分からない。そしてその火は一発点火。
まるで瞬間湯沸かし器のような義父との関わりは一体いつまで続くのか?
先の見えない介護の前には先の見えない恐怖が横たわっていたのです。
次の記事はこちら:マルチ商品に無駄なリフォーム、新車まで! 義父の異常な購買意欲に振り回される
指定難病及びうつ病の義父(太郎)と認知症の義母(はな子)の介護の日常を アメーバブログ「13番さんのあな―介護家庭の日常」にて綴り始めて10年近く。 山田家介護のキーパーソンでもある50代主婦。
2017年現在、現在義父は88歳・要介護3。入院をきっかけに2017年7月、老健へ入所。 義母は92歳・要介護4。週5日のデイサービスなどでしのぎながら在宅にて介護をしている。 同居家族は夫(としお・60代・会社員)長男(一郎・30代・会社員)。 このほか結婚して独立した次男(二郎・20代・鍼灸接骨院経営)とそのお嫁さん(さくら・看護師)孫(きんとき・2歳)一人暮らしの三男(三郎・20代・会社員)と結構賑やか。 これらの日常をもとに著書『毒舌嫁の在宅介護は今日も事件です!』を2017年7月に出版した。