親などの介護に奮闘することで、仕事を辞めてしまう「介護離職」。しかし、介護をきちんと続けるには、「自分第一で考えること」が重要だとされています。そこで、介護支援の専門家・飯野三紀子さんが執筆した、『仕事を辞めなくても大丈夫! 介護と仕事をじょうずに両立させる本』(方丈社)から、仕事を続けながら介護と向き合う方法について、連載形式でお届けします。
介護離職の悲劇
人手不足なのに、介護離職するひとは年間10万人以上と言われています(総務省平成二四年「就業構造基本調査」転職者含む)。
政府は問題の大きさに気づき、「介護離職ゼロ」を打ち出し、法律も変わりました。しかし、大部分のひと(介護未経験者)は「その目標は正しいんだろうけれど、ゼロとはいかないだろう。誰にでも親はいるんだし」とひとごとのように感じています。「介護離職阻止」の持つ意味を知らなくては、若い世代から管理職まで、誰もが働けない時代がきているのです。
まずは、実例から、介護離職の問題点を探っていきましょう。
システムエンジニアの孝さん(当時40歳、東京在住)の母が脳出血で倒れました。手術や医師からの病状説明、半身不随となった母のリハビリ病院への転院、そこからの再転院と緊急事態が続き、その都度、孝さんは仕事を休まざるを得なくなりました。
会社では新しいプロジェクトのプレゼンが間近。孝さんは部下に大部分をまかせて動き回ったのですが、仕事はうまく進行せず、上司から呼び出され叱責されてしまいました。
孝さん 「母が入院しまして......」
上司 「兄弟や親戚に頼めばいいじゃないか。仕事が大変なときなんだから」
孝さん 「母ひとり子ひとりなもので」
上司 「なんとかできないのか!」
と上司は舌打ちをして、表情を曇らせます(ケアハラスメント)。母の退院後に介護が必要となり、母の住む大阪で介護体制をつくるために休暇をとりたいと相談に行くと、上司は、
「いいけど。でも、いつまでも続くと困るよね。休みが多くなると今後のキャリアや評価にも影響するよ」(ケアハラスメント)
と言われ、孝さんは言葉を失いました。それでも、休みを作って、介護の対応に追われました。その結果、新しいプロジェクトは失速し、部下からは、「上司が休みがちでは......」「これからどうなるの?」と不満と不安の声が聞こえてくるようになりました。
孝さんは、会社全体から責められているように感じました。しかし、孝さんの母は施設入所を嫌がり、孝さんに実家に戻ってきて、家を継いでほしいと頑なに訴えます。
孝さんは、「なんとなく、母の面倒は自分がみるしかないのだから、もういいや、と仕事を辞めて実家に帰りました。あれは、失敗でした」と、振り返ります。
介護に専念した孝さんは、その二年後にうつ病となってしまいます。介護はできなくなり、母を有料老人ホームに入所させ、自分はうつ病の治療に専念するしかありませんでした。
孝さんの母はそれから五年で亡くなりましたが、蓄えは尽きました。
「SEは六年ブランクがあれば、もう再就職はできないです。家を継ぐといっても駅から遠い古家は売れないし、改築資金もありません。古家に住みながら、不安定な職に甘んじて、孤独に老いていくしかないですね」
みなさん、孝さんの厳しい現実を他人事と片付けられますか?
孝さんのシステムエンジニアの人生は、
1、職場が介護支援に無理解だったこと
2、上司と部下の、無知によるケアハラ
3、母親との親子関係(共依存の傾向。面倒を見続けることを、お互いの無意識のうちに自己評価の拠り所とする依存)
4、本人の介護への情報不足と「とらわれ」からの決断
で、大きく狂いました。
近頃、「老後破綻」「下流老人」という現象が社会を不安に陥れています。バブル期に働き盛りの時期を過ごし、フリーや派遣でも、それなりに収入を得て暮らしてきたひとたちが、老後を迎え、年金や蓄えが十分ではなく、かつての栄光と現在の生き辛さのギャップに苦しんでいるのです。
介護離職後の老後破綻とは、
独身男性、女性や非正規労働者が親と同居し、介護離職
↓
そのなかの四人に一人の介護者が、介護うつや心身症になる
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長い介護人生で親の預貯金や財産を使い果たす
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親の亡きあと、親の年金もなくなり、生活保護を受けるしかなくなる
という悪循環に陥る現象です。
これから、こういった介護離職の問題点とその回避方法を連載形式でお届けしていきます。
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「がん終末期」「認知症」といった状況の違いも踏まえ、13章にわたって介護問題の原因と対策がまとめられています