「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
そんなある日、ベストセラーになっていた『サピエンス全史』を読んだ。
そのとき、僕は「集合意識」というものがあることを知った、というかその存在が見えた。
この本では、僕たちホモ・サピエンスとネアンデルタール人の違いなどを分かりやすく書いていた。
脳も身体もネアンデルタール人の方が大きかったのに、なぜ、僕たちサピエンスの方が生き残ったのか?
その大きな違いの一つが「想像力」。
僕たちサピエンスの人々だけが虚構、すなわち架空の事物について語れるようになったのらしい。
虚構の世界とは、イメージの世界。
現実じゃなくて、想像の世界。
サピエンスの人たちは、主観的な世界観を作り出した。
それは彼らが残した壁画などを見ると良く分かるらしい。
壁画には神や呪術的なイメージがたくさんある。
その「想像力」は村や国といった集団の帰属意識、つまり「僕たちは同じ村の仲間だ」「同じ考えの仲間だ」「同じ目的の仲間だ」というような共通の感覚を作り出した。
たくさんの人が一緒に持つことが出来る「イメージ・想像の世界」を作り出したのだそうだ。
「神」もそうだし、「信念」や「信条」、「社会のルール」などもそう。
僕たちが今、普通に使っている「お金」もそうだ。
紙幣は「印刷された紙」でしかないけれど、みんながそこに「価値」という共通の認識を持っているからこそ、貨幣経済が成り立っている。
多くの日本人が、「他人の目を気にする」とか「礼儀正しい」とか、外国の人たちと違うと感じるのは、日本人がそういう『集合意識』を持っているから、ということ。
人類としては先輩だったネアンデルタールの人々は、こういったものは構築しなかったらしい。
現実生活とそれのやりくりだけにその能力を使っていたそうだ。
その結果、血のつながったせいぜい20人程度の家族単位でしかグループを作れなかった。
一方、サピエンスの人々は自らが作り上げたイメージである「私たちは血はつながっていないけれど、同じグループの大事な仲間だ」「だから、一緒に行動しよう、協力し合っていこう」に意識を合わせ、多くの見ず知らずの人たちが一緒に連携を取ることができたので、数百人規模の大きな集団を作ることが出来た。
狩りをするとき、集団が大きい方が獲物を効果的に一気に捕獲できる。
結局、その集団の大きさの差が、その後のサピエンスとネアンデルタール人の未来を決めたのだそうだ。
こうやって想像され、作られた数々の共通の概念や共通の認識を『集合意識』と呼ぶ。
注がれる「意識」というエネルギーと、それが維持されてきた「時間」を蓄えて、『集合意識』はどんどん成長する。
そして成長した『集合意識』はそれ自体が磁石のように人を引き寄せ、人々を取り込んでさらに成長する。
同じ『集合意識』の中にいることで、人は名前も知らない他人と一体感を感じ、そして協力し合うことが出来る。
野球やサッカーなどの応援する人たちを見ていれば、良く分かる。
彼らは「~のファン」という集合意識の中にどっぷりと入っている。
『集合意識』は、誰かが作った「概念」に大勢の人間の「意識」というエネルギーが集まって、より巨大なものに成長する。
それはあたかも物理的な形や重量がある存在のように認識されて、人は気づかずにその巨大な集合意識に取り込まれてしまう。
「それって、当たり前だよね」という感覚が、それだと思う。
そう、僕はそれが見えた。幻想、幻視かもしれないけれど、それは空中に漂っていた。
灰色の塊のように見えたそれは『集合意識』だった。
これが『集合意識』なんだ...。
その灰色の塊からパイプというか、太い紐というか、そういうものが伸びていて、僕に強固につながっていた。
そのおかげで、僕はその灰色の塊に飲み込まれていた。
これは、なんだ?
僕はその灰色の塊の正体を探ってみた。
それは、《農耕民族のマインド》だった。
農耕民族は先行きを心配する。
麦の収穫が少なかったらどうしよう。
コメが枯れたらどうしよう。
害虫が発生したらどうしよう。
収穫がなければ生きていけなし、収穫量というパイは決まっている。
パイは増えない。
決まったパイを分割することで、一人分の分け前が決まる。
なんとしても守らねば。
あれもやらなきゃ。
これもやらなきゃ。
集団の中で手柄を立て、受け取るパイを増やすんだ。
将来の不安を払しょくするために、今を忙しく働かなきゃ。
それは、不安を感じながら耕し、種をまき、雑草を抜き、将来の収穫のために朝から晩までひたすら働く、そういう『集合意識』だった。
日本で言うと"弥生の人たち"だ。
僕は長年のサラリーマン生活で、どっぷりと『農耕民族のマインド』に飲み込まれていたのだった。
僕の感じていた「孤独感」「無力感」は、いきなり村から追放された農耕民族が、ひとり真っ暗な森の中をさまよっているときに感じる気分だった。
『農耕民族のマインド』につながっているのだから、今の状況が不安なのは当たり前。
外せ!
つながりを外して、ここから抜けるんだ!
で、どこへ抜ける?
抜ける先は分かっていた。
僕たちには農耕民族よりさらに以前、約250万年も長きに渡って存在したご先祖様たちがいた。
それは『狩猟採取民族』だ。
日本で言うと"縄文の人たち"だ。
意外なことに、狩猟採取民族のほうが農耕民族より、食生活など含めて豊かな生活をしていたことが、最新の研究で分かってきたらしい。
人類は、農耕を始めて人数は増えたが、逆に個人の生活は貧しくなったんだそうだ。
狩猟採取民族のマインドと、農耕民族のマインドは、全く違う。
狩猟採取民族は、心配なんかしない。
貯蓄なんていらないよ。
だって食べ物がなくなったら、獲りに行けばいいじゃんか。
外に行けば食べ物なんていくらでもあるんだし。
将来のために、"今"を犠牲にする?
なんでそんなことしなきゃいけないの?
地球は限りなく豊かさ。
豊かさは、自分が創り出すんだよ。
さあ、人生を楽しもう!
さあ、歌おう、さあ、踊ろう!
縄文の人たちは、そう言って僕に手招きをしていた。
そうだ、こっちだ、こっちへ切り替えるんだ!
僕は意識を集中して、空中に浮かんでいる『農耕民族エリア』から、エネルギーラインをざっくりと切った。
えいやっ!
ブチッ!
本当に音がした気がした。
その瞬間、重苦しい将来の不安は、不思議と霞のように消えてしまった。
おっ、ラクになった~、なんだこりゃ。
次に僕は、空中に浮かぶもうひとつの『狩猟採取民族エリア』に意識のアンテナを向け、エネルギーラインをつなげた。
よっしゃ、いけ~っ!
心の中のかけ声とともにジャキィン!と見事な接続の音が聞こえた。
チェンジは一瞬で起こった。
予想もしていなかった笑いが、下っ腹から起こってきた。
くほほ。
地球は豊かさ。
何を悩んでいるのさ。
仕事なんていくらでもある。
僕は専門的スキル、経験がたくさんある。
狩りに出かけりゃいいんだよ。
仲間もたくさんいるじゃないか。
外に出ようぜ、獲物はいっぱい。
果物は取り放題。
心配ナッシング!
はっははは!
真っ暗な森の中が、いきなり実り豊かな明るい森林に変わった!
おお、僕の人生、なんて明るいんだ!
なんだったんだ、今までの僕は。
本当に不思議なほど、180度、僕の気分が変わった。
いや、こんなに簡単に気分が変わるなんて、もしかして僕は単なるアホなのかもしれない。
ははは。
もう笑うしかない。
起業家やベンチャーの人たちは、この『狩猟採取民族の集合意識』につながっているのかもしれない。
だから平然と恐れなく冒険をしていく。
不思議なことに、僕はその日から仕事の心配を、全くと言っていいほど感じなくなった。
自分が知らず知らずのうちに接続し、取り込まれてしまっている『集合意識』。
その『集合意識』につながっていることが"幸せ"であるならば、それは全然問題ないと思う。
しかし、自分が成長したり、僕のように自分の状況が変わったりして、つながっている『集合意識』が自分に合わなくなってきたとき、そこから抜け出す、あるいは切り離すことは必要なんじゃないかと思う。
少なくとも、僕はそうだった。
そして4月になった。
僕は完全に無職となった。
仕事の状況は何も変わっていなかったけれど、僕の心に焦りや不安はまったく起こってこなかった。
同じころ、妻がパートを辞めた。
「私、これからはフルタイムで働くから。4月からは収入が減るでしょ。だからその分時給が良くて時間が長く働けるところを探すから」
妻は今のパートを辞め、いろいろ探した末に別の仕事につくことになった。
「これで少しはお給料増えるから。生活費の足しにもなるね」
彼女は僕と結婚してからパートタイム以外の仕事はした事がなかった。
いや、する気がないと言っていた。
その彼女がフルタイムで働くという。
彼女も『集合意識』が切り替わったのかもしれない。
僕には彼女が頼もしく、そして輝いて見えた。