「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました! 末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」をお届けします。
変わる「世界」
年初から描き始めた本の原稿の進行具合は、一進一退だった。
2度ほど書き上げたものの、編集者からの要望は厳しいうえに曖昧で、それはそれで勉強にはなっていたものの、僕は手探りをしながら原稿を書いていた。
しかし、自分の体験をこうやって文章に落としてみると、今まで見落としていたことがたくさんあったことに気づいた。
すると不思議なことに、自分が見ている世界がだんだんと変わってきた。
ある日、電車に乗っていたときのこと。
正面におじさんが座っていた。
おじさんは不機嫌そうに眉間にしわを寄せ、しかめっ面で腕組みをしていた。
以前の僕だったら「不機嫌そうなおじさんだな」だけで終わっていただろう。
しかし、最近はちょっと違う。
なんだかかわいく感じてしまう。
いや、おじさんの顔は全然かわいくなんかない。
逆にちょっと怖い。
だけど、そのおじさんの本質というか存在というか、そういう部分を、とっても愛らしく感じてしまう。
ああ、この人、何十年か前に生まれて、それからいろいろあったんだろうけど、頑張って生きてきたんだよな、みたいな感覚。
その人の外見とか性格とか、そういったもののもっと奥にある「存在」みたいなものが、とっても愛おしく感じてしまう。
不機嫌になっているのは、このおじさんの「思考」や「感情」といった「性格」に起因するもの。
それを心理学では「自我、エゴ」と呼ぶ。
「自我、エゴ」は生まれた後に作られるもの。
生まれたばっかりの赤ちゃんにはまだ「自我」はない。
だから、いつも上機嫌で、感情そのまんま。
それが僕たちのまっさらな状態。
そのあとに、僕たちは親やそれに代わる人たちからいっぱい刺激を受ける。
ヨシヨシされたり、叱られたりする。
すると、僕たちの心の中に「親に受け入れられる」あるいは「親から嫌われない」ために適応するための"プログラム"が作られる。
これが「自我・エゴ」の誕生だ。
「性格」とも言う。
そして僕たちはこの「自我・エゴ」を中心に成長し、物事を考えたり感じたりして人生を創っていく。
でも、僕たちは「自我・エゴ」じゃない。
それはいのちに乗っかっているもの。
命という大きな乗り物に乗っかって、この社会で適応するためにやりくりしているのが「自我・エゴ」。
僕がこのとき感じた"愛おしさ"は、このおじさんの「自我・エゴ」にではなく、「いのち」に対してのものだった。
いのちに乗っかってる自我。
自我は、乗り物であるいのちの尊さや素晴らしさに、気づいていない。
この世界には『自分だけ』しかいない、と勘違いしてしまっている。
そうじゃない、僕たちには「いのち」がある。
「いのち」という乗り物があるだけで、素晴らしいこと。
僕は肺がんステージ4になって、死にそうになった。
「いのち」が亡くなりそうになった。
だから分かる。
「いのち」があるって、本当に素晴らしいことで、有難いことなんだってことが。
有難いという感じは、"有(あ)る"と"難(むつか)しい"がくっついた言葉だ。
「ありがたい」というのは、その状態に有るのが難しいことを指す。
だからこそ、感謝の言葉になる。
僕たちは、「生きていること」が普通だと思っているけれど、そうじゃない。
僕はがんになってから、たくさんのがんの人たちに会った。
残念ながら亡くなってしまった人も何人かいる。
僕たちが普通だと思っていること、普通に「生きている」ってこと、それは本当は「普通じゃない」
つまり「有り、難い」ことなんだと思う。
僕は不機嫌そうなオジサンを見ながら、まるで自分の息子を見守るような気分になった。
4月8日に月に1回楽しみにしている中江さん主催の「陽明学から学ぶ」ワークショップに出かけた。
僕のこの日のテーマは「信頼」だった。
僕はワークシートの今日の問題意識、課題の欄にこう書いた。
「自分の身体のエネルギーを感じる」
「人生の流れを信頼し、身を任せる」
そう、人生は流れている。
僕の人生なんて、まさに流れだ。
がんから生還したときに感じた"人生の流れ"。
そしてそれに対する絶対的な信頼感。
それをもう一度、感じてみたい。
今こそ、あの感じを取り戻し、あのフィールドにまたアクセスするんだ。
その日、出てきた例題として出てきた漢文の内容は、僕にこうささやいていた。
今日、今・ここ「いい気分で生きる」ためには、毎日毎瞬、自分の中を注意深く見つめなければならない。
浮かんでは消える浅い思考や感情につかまらずに、深い自分のなかに"本当"を見つけ出すことが出来れば、自然と身体が動き、間違ったとしても、すぐに戻る。
まさにこれが、気分良く生きるということ。
毎日こうやって自分を見つめ、その自分を大切にして生きていれば、自然と欲は消え、天の理(ことわり)が自分を導いてくれる。
考えてばっかりいたり、無自覚に行動ばかりしていても、そこにはたどり着けない。
それはまさに僕が体験した「サレンダー」の領域へのつながり方の解説みたいだった。
今日、この文章に出会ったと言うことも、全体の流れが示していることなのかもしれない、僕はそう感じた。
それから数日後、昔勤めていた会社の後輩を訪ねた。
彼は以前相談した佐々岡さんが僕の上司だったとき、僕とコンビを組んでいた部下だった。
とても仕事が出来るヤツで、彼が部下だったとき、一緒に面白い仕事がたくさん出来た。
僕がその会社を辞めて約2年後に彼も退職し、今では研修をコーディネートする組織の一員として活躍をしていた。
以前の僕なら講師、あるいは先輩としてのちっこいプライドが邪魔をして会いに行けなかったと思う。
だって僕の目的は、仕事をもらいにいくのだから。
会社をクビになって、助けてもらいに行くのだから。
惨めな自分をさらすような、情けない気持ちになっただろう。
でも今は違う。
プライドなんてナッシング。
僕は逆に、久しぶりに彼と会うことが楽しみだった。
会社を訪ねると、彼はビルのエントランスに元気よく走り出てきて、こう言った。
「刀根さん、大変だったですね。ブログ読みましたよ。もう体調は大丈夫なんですか?」
「うん、もうがんはほとんど消えたからね」
「それはすごいですね。ホント良かったです」
彼は安心したように笑った。
「でも、そのおかげで会社をクビになっちゃったよ。ははは」
それは自嘲的な笑いではなく、本当に面白かった。
僕は今、自分の状況を楽しんでいた。
これから僕の人生に何が待っているのか、森の中にどんな果実が実っているか、楽しみで仕方がなかった。
「えっ、そうなんですか。まあ、退職したことはブログでなんとなく分かってたんですけど、まったく...会社ってのはこれだから...」
彼は自分のことのように悔しそうに言った。
「いや、いいんだよ、これも流れだからね。でさ、今仕事なくってさ」
「はい」
「なんか、仕事ちょうだい」
僕は、あっけらかんと言った。
彼は打てば響く太鼓のように、すぐに答えた。
「おっ、いいんすか?失業保険とか受けてるんじゃないですか」
「大丈夫、別に就労契約するわけじゃないからね。そっちはそっちでちゃんと進めてるから。これはいわゆる単発のアルバイトみたいなもんでしょ。失業保険だけじゃ足りないんだよ。なんせ薬代が月に10万くらいかかるから」
「10万すか...それは大変っすね」
「そうなんだよ。まだ声も完全じゃないからね。失業保険を受けながらボチボチ仕事が出来ればいいと思ってるんだ」
「確かに、痩せましたね。声もまだ枯れてますしね」
「これでも随分出るようになったんだよ。1年前はスカスカで、全く出なかったんだ。息が漏れてね、単語でしか話せなかったんだよ」
「そうだったんですか。僕で出来ることはしますよ。仕事ならありますよ。すぐって訳にはいかないけれど、ありますよ。刀根さんが講師として優秀なことは分かってますから」
僕は以前、彼のコーディネートで研修をしたことがあった。
「そ~なんだ、いやあ、嬉しいな。じゃ、これからよろしくお願いします」
僕は深々と頭を下げた。
「もちろんっす。こっちこそお願いします」
彼は嬉しそうに笑った。
そう、ここは『狩猟採取民族』のフィールド。
「不安」ではなく「信頼」から動くこと。
「恐れ」からでなく「安心」から動くこと。
そうすれば、獲物はいくらでもやってくる。
【次のエピソード】楽天的な発言は僕だけか...。初めて参加した「肺がんの患者会」での違和感/続・僕は、死なない。(21)
【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)
50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。