「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった本連載を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
【前回】「僕の骨、真っ黒だったぞ...」全身の骨に転移した「無数のがん」に愕然
ついに来た!
その日の夜のことだった。
消灯時刻も過ぎて薄暗くなったベッドの向こうで声がした。
「刀根さん、よろしいですか」
福山先生だった。
「はい、いいですよ」
僕はベッドから身を起こした。
福山先生はカーテンを開け、僕のそばに来た。
いつもニコニコしている福山先生が、いつもよりもっと嬉しそうだ。
「刀根さん、嬉しいお知らせがあります」
「はい、なんでしょう?」
「先日行なった生検の結果がほぼ、出まして......」
「はい」
「刀根さんの遺伝子からALKが見つかりました!」
「えっ?ホントですか?」
「はい、まだ最終の確認中ですが、ほぼ、間違いないと思います。ALKの分子標的薬のお薬が使えそうです」
僕は思わず拳を握ってガッツポーズをした。
やった!
分子標的薬が使える!
しかし同時に、〝来たよ、来た。来るものが来たんだよ。わかっていたじゃないか〟そんな声も聞こえた。
「ALKの患者さんが使う分子標的薬『アレセンサ』というお薬は、とてもよく効くと言われているお薬です。副作用も少ないと言われています。刀根さんはこのお薬が使えそうですよ」
「ありがとうございます」
「いやあ、患者さんにとってよい知らせはちょっとでも早くお伝えしたくて、こんな時間なのですが、来てしまいました」
福山先生は照れたように笑った。
「週明けの月曜日、沼田先生から詳しいお話があると思います。でも、とりあえずよかったですね」
福山先生が帰った後、僕は天井を見上げた。
まさか、ALKが見つかるとは......。
ALK遺伝子を持っている人は肺腺がんの4%しかいない。
とても珍しい遺伝子なんだ。
その4%に入ったのか、いや待て、そもそも前の大学病院でALK調べてたはずじゃないか。
2カ月半待ったのに、結果を教えてもらえなかったから、てっきりダメだと思っていた。
だから頭の中からALKの選択肢は消滅していたはずなのに、こんなことになるなんて、全くもって想定外。
いったいどういうことなんだろう?
まあいい。
とにかくALKが見つかったんだ。
これで分子標的薬が使えるんだ。
すごいや、本当にすごい。
僕は興奮冷めやらぬまま、ベッドに横になった。
深夜、尿意を感じてトイレに行った。
便器に座ると、窓の外から月の光が煌々と僕に降りそそいでいた。
なんだかとても神聖に感じた。
思わず、口から言葉がこぼれ出た。
「神様、僕、生きていいんですね......」
口にしたとたん、涙があふれ出てきた。
生かされた......。
生きのびた、ではなく、生かされた...。
この世界に残ることを許された......。
自然と両手が合わさった。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
宇宙よ、神よ、世界よ、僕が生きることを許してくれて、ありがとうございます。
僕を愛してくれて、ありがとうございます。
僕は、生きます......。
僕は泣いた。