「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった本連載を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
【前回】自分の名前が書けない...悪化する肺がんの「恐ろしい症状」
5月下旬、咳をした衝撃でぎっくり腰になった。
立ち上がるとき、歩くとき、何かにつかまっていないと体勢が維持できない。
よろよろと30m歩くだけでひどい息切れがする。
股関節は常にズキズキと痛み、坐骨は座ってもいないのにジンジンとうずいていた。
胸の中は常にチクチク・ズキズキと痛み、もう深呼吸もあくびもできず、浅い呼吸しかできなくなった。
声を出そうとすると声帯の横から空気がスカスカ漏れていき、息苦しくなる。
したがって、単語しか話せなくなったのでジェスチャーが多くなった。
漢方クリニックに行くとき、地下鉄銀座駅から地上に出るのがかなりキツくなった。
手すりにつかまりながらよろよろと階段を登り、途中で何度も休み、地上に出てからは息を数分整えないと歩けなくなった。
もう、階段は無理かもしれない。
弱気になった。
急に気道が閉じて呼吸困難に陥る回数も増えた。
血痰がひどくなり、痰の中に血が混じるというレベルではなく、もはや赤黒い血の塊を吐き出すようになった。
右手が痺れてきた。
指先が常にピリピリとしている。
明らかに左手よりも右手が重く、動かしにくい。
この痺れはなんなんだ?
僕は無意識に左手を使うようになった。
この頃から、肋骨の痛みで横を向いて寝られなくなった。
体重は52キロ台に突入した。
10キロ以上減ったことになる。
歩くことも不自由になり、階段を登ることは諦め、エスカレーターを探すようになった。
身体がだるくて起き上がることもおっくうになった。
それは掛川医師が言っていた通りの状態だった。
5月21日の朝、右眼の上半分に黒っぽい幕が降りている。
やけに視界が狭い。
左手で両眼に代わる代わる手を当ててみる。
右眼の視界が明らかにおかしかった。
いや、これは気のせいだ。
明日になれば治ってるさ。
動揺しながらも自分に言い聞かす。
しかし翌日も同じように視野は狭かった。
いや、前日よりどんどん狭くなっていた。
まずい、本当にまずい。
慌ててスマホで調べてみる。
視野欠損。
緑内障の症状だった。
なんだ、緑内障か、よかった。
ホッとした。
しかし説明の一番下にこう書いてあった。
『脳腫瘍でも同じような症状が出る可能性があります。至急病院に行ってください』
脳腫瘍だと?
脳に転移したのか?
いや、そんなことはないだろう。
きっと明日になったらよくなってるさ。
しかし、よくなることはなかった。
これは何か起きている......。
そろそろ調べなくちゃいけないかもしれない。
僕は肺がんの経過観察は受けていなかったが、心臓・循環器の定期健診は3カ月ごとに受けていた。
そこで心臓の主治医である松井先生に話してみることにした。
「先生、お願いがあるのですが」
「何?」
松井先生は愛嬌のある目をクリクリさせて言った。
「実は肺の経過観察を全然していないもんで......前の大学病院ではもう来るなって言われまして」
「ひどいね、そこ」
「ええ、まあ。で、あれから半年以上経ったので、この病院で肺のCTを撮ってもらうことってできますか?」
「いいよ、もちろん、お安い御用です」
「ありがとうございます!」
数日後、撮ってもらったCT画像を見ながら松井先生は言った。
「画像診断医っていう人がいてね、画像を見る専門の医者なんだけど、その人のコメントによると......」
「はい」
「肺がんは以前より増殖していて、肝臓にも転移している可能性が高いって書いてある」
「肝臓もですか?」
「ええ、そう書いてありますね」
「でも、それくらいなら問題ないです。前のとこなんて、脳にも転移してるって脅されましたから」
「いや、脳も怪しいって書いてあるんだ」
松井先生の声が沈んだ。
「脳も、ですか?」
「うん」
松井先生は画像診断医のレポートを印刷して僕に渡してくれた。
「これは専門のところで、ちゃんと診てもらったほうがいいよ」
5月下旬のある日、長男と次男を呼んだ。
「知っての通り父さんは肺がんステージ4だ。1年生存率は3割って言われてから9カ月経った。頑張っているけど、今年の冬、父さんはいない可能性が高い」
長男も次男も僕の目を見つめ返した。
「父さんが死んだ後、母さんを頼む。2人で母さんを助けてくれ」
覚悟を決めたかのように、2人とも無言でうなずいた。
しばらくして妻が買い物から戻って来た。
「僕が死んだ後のことを話し合っておこう。僕が死んだら保険金で毎月おおよそ15万円くらいは出ると思う。子どもたちはもうすぐ社会人になるからもうちょっとの辛抱だと思う。最悪は家を売ればいい。安いアパートを借りれば当面はなんとかなるだろう。子どもたちの学費は僕の死亡保険金が200万円くらい出るから、それでなんとかなる。葬式は金がかかるから一番安いのでいい」
「うん、わかった......。でも......」
妻はうつむいた。
「いや、一人にしないで。一人になりたくない」
そう言って、泣いた。
「ごめんね」
僕も泣いた。