「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった本連載を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
【前回】「まじかよ、転移したのかよ」首に見つけた「シコリ」はがんの転移か...
2月に入ると少し息苦しくなりはじめた。
湯気の充満した浴室ではあきらかに呼吸が苦しい。
肺の容量が小さくなってしまったのだろうか?
時折、身体がだるく感じられるようになってきた。
いやこれは、きっと好転反応だ。
がんが消えていくときに身体に負担をかけているに違いない。
だってがんを治したと言われている治療を、あれもこれもたくさんやっているじゃないか、がんが進行するなんてこと、ありえない。
自分に言い聞かす。
左足の股関節もズキズキと痛み始めた。
体重をかけると鈍痛が走る。
なんだろう?
関節炎か?
いやこれはきっと、関節の病気に違いない。
僕はよくなってきてるはずなんだ。
クリニックに通う電車の中で立っているのが辛くなってきた。
左足に重心をかけるとズキズキと鈍痛が走る。
そういうときに限って席は空かない。
誰か、席を代わってほしいなぁ。
肺がん患者と言っても、僕はまだまだ外見上は普通だった。
数カ月前までボクシングなんてやっていたから、どちらかというと健康的な痩せ型の人にすら見えたかもしれない。
優先席の前に立っても、当然譲ってくれる人はいなかった。
"私はがん患者で、体力が低下しています"みたいなマークがあればなぁ。
赤い十字の「ヘルプマーク」があると知ったのは随分後になってからだ。
電車で立っていると股関節が痛い、座っても坐骨が痛い、そんな状態になってきた。
もう、我慢するしかない。
大丈夫、治療の効果は絶対に出ているはずなんだから。
弱気な自分をすぐに打ち消す。
電車に乗っている人たちの顔を見渡して不思議な気分になった。
僕の目の前に座っている人はかなり太っていて、顔色も悪かった。
この人、これからも普通に生きていくんだろうな。
生きるという時間が普通にあるんだな。
それに比べて、おそらく僕はもう長くは生きることができないだろう。
僕はいったんネガティブにつかまると、暗い穴に引きずり込まれてしまうのだった。
どうして僕なんだろう?
タバコも吸わないし、酒も飲まない。
食べ物だって気をつけてきたし、運動だってきっとこのオジさんよりはずっとやっていたはずだ。
仕事だって楽しかったし、ボクシングも楽しかった。
ストレスで毎日削られるなんてこと、なかった。
それなのに......なんか不公平だ。
どうして、どうして僕なんだ?
どうしてこのオジサンじゃなくて、僕なんだ?
オジサンの横では、老人が眠っていた。
すごいな......。
この年まで生きているんだ。
今まで、長生きするだけじゃ意味がないなんて思っていた。
それは単に長く生存しただけなんだって。
そうじゃなくて"どう生きたか"が大切なんだって。
そんなカッコいいセリフを本当のことだと思い込んでいた。
でも違う。
それは大間違いだった。
そうじゃない、生きるだけで、生きているだけで、それはもう本当にすごいことなんだ。
少なくとも、僕よりよっぽどすごい。
僕は眠っている老人を尊敬のまなざしで見つめ、心の中でつぶやいた。
すごいよ、あなたは。
本当にすごい。
その年まで生きていることができるなんて、本当にすごい人です。
大学3年生の長男が就活用スーツを買いにいくと言うので、妻と一緒に3人でショッピングモールへ出かけた。
スーツ売り場で長男と妻が僕の前を歩く。
2人の後ろ姿を見ていて、ふと思った。
あの子がスーツを着て働く姿が見たかったなぁ。
ああ、彼が社会人になる姿は見られないんだな......。
歩く2人の姿がうるんでぼやけてくる。
いや待て、気持ちを強く持つんだ。
大丈夫、絶対に見るんだ。
気を晴らすために小説を読もうとして本を開いた。
しかし文字が全く入ってこない。
文字を目で追っても、内容が全く頭に入らなかった。
ダメだ......小説は読めない。
僕は小説という架空の世界に入れなくなった。
それではゲームをやってみようと思い、久しぶりにゲーム機に電源を入れ、以前はまっていたゲームをやってみた。
すぐだった。
頭が割れるように痛み出した。
手足が冷たくなり、いやな汗がコントローラーを湿らせた。
まずい、ゲームをすると死ぬ。
頭の中はがんに囚われていた。
痛みや体調に人一倍敏感になり、少しでも痛むとがんが進行したのではないかと不安になる。
そして次の瞬間、無理やり意識をポジティブに持っていき、自分を奮い立たせる。
常にがんに心をわしづかみにされていた。
不安や恐れを打ち消すために、その逆のよいところを必死で探す毎日。
ああ、今日はここの痛みが薄くなった。
今日は呼吸が昨日より楽だぞ。
股関節が昨日よりも痛くない......。
だから、きっと、がんは治ってきてるんだ......。
毎日、そう自分に言い聞かせていた。
思考や感情が暴走するので、100円ショップで買った写経を始めた。
何も考えずに筆ペンで般若心経を書く。
無心。
書くという作業に集中すると、他に何も考えられなくなった。
ひとまずがんから解放され、心がふっと落ち着くことができた。
そうか、これが写経か、これがマインドフルネスなのか。
スッキリしたぞ。
しかし、しばらくするとまたがんが僕の心の中を占領するのだった。
ある日、ボクシングの世界で有名なジョー小泉さんから荷物が届いた。
彼は海外の外国選手の試合解説をしているボクシング界の生き字引みたいな人で、僕が高校生の頃から尊敬している人だった。
僕がトレーナーになってから、試合会場で何度か話をした程度の関わりだったが、グループメールの関係で僕は彼にがんになったことを伝えていた。
何だろう?
荷物を開けると、がんの治療に関する本と、モハメド・アリのTシャツが出てきた。
ほんのわずかの関わりしかない僕に、ここまでしてくれるなんて......。
「頑張ってください」
メモにはそう書いてあった。
僕はメモを見て、泣いた。