「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった本連載を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
【前回】「大丈夫です。治ります」思わず涙があふれた、心臓の主治医からの言葉
覚悟をきめろ
自分ができることは全部やる。
きっと、必ず、道は開けるはずだ。
8月の中旬、CTでがんが見つかってから僕はがんからの生還者、がんサバイバーたちが書いた本を片っ端から購入し始めた。
生き残るためには、生き残った人がやったことから学ぶのが一番。
偶然にも全身がんからの奇跡的生還者が書いた本が数冊、家にあった。
『喜びから人生を生きる!』という本ではアニータ・ムアジャーニという女性がリンパ系の全身がんから奇跡的に生還した実話を、『癒しへの旅』という本では著者のブランドン・べイズがバスケットボール大の腫瘍を消した実話を、むさぼるように読み進んだ。
そこには現代の西洋医療ではない方法で奇跡的に生還した人の実例が書いてあった。
他にもケリー・ターナーという人が書いた『がんが自然に治る生き方』はとても参考になった。
この本はがんから生還した人たちのインタビューをまとめたもので、食事のことから治療のことまで詳しく書いてあった。
そしてこの本のなかでも一番強調されていたのが心の持ち方、メンタルだった。
医者任せにしない、自分の治療法は自分が決める、生還した人たちはもれなくこういった心構えを持った人たちだった。
僕の心に勇気が湧いてきた。
もし仮に治療法がないと言われても、最悪、こういった代替療法がある。
こういうやり方でがんを消した人がいるんだ、できた人がいるんだから、僕がやってやれないはずはない。
そしてふと思い出した。
そういえば、がんから奇跡的に生還した有名な寺山心一翁さん、フェイスブックで友だちになっていたな......。
寺山さんは『がんが自然に治る生き方』にも登場する有名ながんサバイバーの元祖だった。
寺山さんの著書『がんが消えた』も購入して読んでいた。
数年前に友だち申請をして承認ももらっていた。
僕は早速PCを開き、フェイスブックで友人欄を確認した。
いた......寺山心一翁さん......会いたい、いや、会わなくては!
僕は急かされるように、メッセンジャーでメールを打った。
「寺山先生、いつも情報発信ありがとうございます。とても参考にさせていただいております。実は相談があってご連絡をしました。昨日のことなのですが、肺がんステージ4と診断されました。そこで、もしできますれば寺山先生とお会いしてお話を伺いたいと思い、連絡をさせていただきました。唐突の連絡でご迷惑かもしれませんが、いても立ってもいられずに連絡してしまった次第です。大変お忙しいとは思いますが、ご検討していただければ嬉しいです。よろしくお願いいたします」
その日のうちに返事が来た。
最初の文字を読んで、僕は驚いた。
「がん、しかも肺がん4期とわかって、本当によい機会を得られましたね、おめでとうご ざいます」
おめでとう?
がんになっておめでとうって、いったいどういうこと?
そんな気分じゃないんだけど。
僕は続きを読んだ。
「がんは自分が作ったことを素直な気持ちで認めることができたとき、治っていく道が見えてきます。人が治った方法を真似しても、決して治っていきません。作り方はあなたしか知りませんから、治し方もあなたしか知らないのです。自分の内に住んでいる本当の医師である自然治癒力を、どうか活性化していってください。自分のがんを治した経験のない医師の指示は受けないほうがよいでしょう。自分の信じる道を歩んで、完治してください。きっと治ります」
完治......。
きっと治る......。
よし、僕はきっと治る......しかし、おめでとうとはまいったな......。
早速、10月4日から始まる寺山先生の宿泊ワークショップへの申し込みを済ませた。 夜、布団に入るとまた恐怖が襲ってきた。
その日もまた、眠ることはできなかった。