死を忘れるな「死に目を背けないことが、生を愛することを可能にする」/岸見一郎「生活の哲学」

定期誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「死を忘れるな」です。

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踊るのをやめなくていい

ニーチェの『ツァラトゥストラ』は、「十年孤独を楽しんで倦まなかった」ツァラトゥストラが、山から下りてくるところから始まる。ある日、泉を探していたら緑の草地に出てしまった。そこでは娘たちが手を組んで踊っていた。彼女らは彼を見ると踊りを止めてしまった。しかし、彼は友好的な態度で近づいて、こういった。

「娘さんたち、踊るのをやめなくていい。私はあなたたちのところへ遊びの邪魔をするために、意地悪い目をしてやってきたのではない。私は敵ではない......たしかに、私は森であり、深い木立の闇だ。だが、私の暗闇を怖がらない者は、私の糸杉の木立の下に薔薇の斜面を見出すだろう」(Nietzsche, Also SprachZarathustra )

ここでいわれる「深い木立の闇」は死の喩えだろう。死は、生きている限りは体験できない。臨死体験をした人はいても、死から生還した人はいない。生きている限り、人は死を知ることはできないのである。

そうであれば、死については何も知らないのだから、死を恐れるのは本来おかしい。それにもかかわらず、死は怖いもの、楽しい踊りを邪魔する暗闇だと思ってしまう。しかし、とツァラトゥストラはいう。「私の暗闇を怖がらない者は、私の糸杉の木立の下に薔薇の斜面を見出すだろう」と。

『ツァラトゥストラ』のこの箇所を引いて、哲学者の田中美知太郎はいっている。

「死の自覚こそ生の愛である」(「死すべきもの」『田中美知太郎全集』第七巻所収)。

死に目を背けないこと、死すべき存在であることを知ることが、かえって生を愛することを可能にするのである。なぜそういえるのか。

人生の終わりに死があることを知ってしまうと元には戻れない。目の前にあったはずの人生のレールが消えたように思う。しかし、踊るのをやめなくていい。踊る人は人生の終わりに死が待ち構えていようと、「今ここ」で踊り続ければいい。

死による無価値化

死を目の当たりにすると、それまで価値があると思っていたこと、例えばお金や名誉などにはまったく価値がないことがわかる。今の生を愛し、友人や家族など親しい人と仲良く生きる以外のことはどうでもよくなる。

『八月のクリスマス』(ホ・ジノ監督)という映画がある。写真館を営むユ・ジョンウォンという青年とキム・タリムという女性との恋物語である。ジョンウォンは不治の病で余命いくばくもない。ある日、店にやってきて知り合ったタリムが彼の人生を変える。二人は互いに惹かれ合うが、ジョンウォンは病気のことを考えると踏み出せない。

ある時、タリムがジョンウォンに「生きてるの楽しい?」とたずねた。ジョンウォンはその質問に「何とか」と答えたが、彼にとっては思いがけない質問だった。生きていることが楽しいかと問われて、彼は自分が病気のことばかり考えて今を生きられていないこと、生きることを楽しめていないことに気づいたのだろう。

私は死ぬだろう、それも遠い先のことではなく、近々に。でも、人間というのは誰もがいつか必ず死ぬものだ。それなら、死ぬことばかり考えていないで、今を楽しんで生きてもいいのではないか。彼はそう考えたのではないかと想像する。

死を忘れようといっているのではない。死を自覚し、本当に価値のあるものだけのために生きる。それができたら、その時、生を愛し、生きることを楽しめるようになるのである。

思い出すのは今

映画は、タリムに話しかける次のジョンウォンの言葉で終わる。

「僕の記憶の中にある無数の写真のように、愛もいつかは追憶に変わると思っていました。でも、あなただけは追憶になることはありませんでした。愛を胸に秘めて旅立たせてくれたあなたに『ありがとう』の言葉を残します」

ジョンウォンは入院しその後退院したが、二人は一度も会うことはなかった。彼は病気のことをとうとう打ち明けることはなかった。しかし、ちょっとした言動で鋭い分析ができた彼女が病気のことを知らなかったはずはない。病気が重いこと、それなのに、努めて明るく振る舞い、少しも苦しんでいる様子を見せようとしないことも、すべてわかっていたはずだ。

あえてたずねようとしなかったのは、彼と過ごした日々を追憶にはしたくなかったからであり、彼もそう願っていることを知っていたからだろう。しかし、たとえジョンウォンが病気のことを打ち明けたとしても、二人が恐れていたことは起こらなかったであろう。暗闇を恐れず、糸杉の木立の下に薔薇の斜面を見出し、踊ることをやめない人は、一緒に経験したことを過ぎ去った出来事として思い出すことはなく、今ありありと経験できる。「追憶」にはならないということである。

私の韓国語の先生が最近、長年の闘病の末、亡くなった。病気のことは韓国語を習い始めて間もない頃から知っていた。私に会いたいといっているという連絡が家族からあった。もう話せないということだったが、長く話すことができた。その夜急変し、翌日亡くなった。別れ際、先生は「또만나요(また、会いましょう)」といった。ここ数年何度も会っていたのに、別れ際に「また、会いましょう」といったことは私も先生も一度もなかったことに後で思い当たった。もっと他に話すべきことがあったのではないかと今も思うが、先生のことは追憶にはならないだろう。

先生の最期の言葉は엄마(オンマ、お母さん)だったという。母親は臨終に居合わせなかった。私は治安維持法の嫌疑で逮捕され、留学先の日本で獄死した尹東柱のことを思った。獄中での臨終に居合わせた若い看守は、彼の言葉がわからなかったが、大きな声で一声叫んで息を引き取った。私はそれは「オンマ」だったのではないかと思う。

人生は死で完結することはなく、先に逝った人への思いは追憶にはならない。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2022年8月号に掲載の情報です。

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