次巻の発売まで僕は...「がん」を忘れさせてくれたマンガに巡る思い/僕は、死なない。(32)

「病気の名前は、肺がんです」。突然の医師からの宣告。しかもいきなりステージ4......。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる治療法を試してもがき続ける姿に......感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。21章(全38章)までを全35回(予定)にわたってお届けします。

次巻の発売まで僕は...「がん」を忘れさせてくれたマンガに巡る思い/僕は、死なない。(32)  僕は、死なない。32.jpg

死の覚悟

数日後の4月12日。

妻と新宿御苑に花見に出かけた。

電車を乗り継ぎ、新宿御苑前で降りる。

地下から地上へ出る階段が辛い。

100メートル歩くと、息が切れた。

でも、横に妻がいる。

妻は僕の手を取ると、優しく引いてくれた。

目の前に広がる満開の桜。

〝今、ここ〟で命の輝きと喜びを全身で表していた。

きれいだ。

本当にきれい。

ここに来てよかった。

いや、ここに来られてよかった。

今年の桜を見ることはできないかもしれないと何度思ったことだろう。

でも、来られた、見られたんだ。

ピンクに咲き乱れる桜の花が僕を祝福しているようだった。

よし、来年も来るぞ、ここに。

新宿御苑に桜を見に来る。

必ず来るんだ。

僕は歩く妻の横顔を見ながら心に誓った。

花見から帰って数日後のある朝、布団の中で強く咳をした。

バキッ、胸の真ん中でいやな音がした。

瞬間、刃物で刺されたような痛みが全身に走った。

なんだ、何が起こった?

動けなかった。

まるで全身が固まったように動くことができなかった。

まずい。

何かが起こった......

もしかして咳の衝撃で肋骨が折れたのか?

脂汗をかきながら、1時間ほど横になっていたが、なんとか身体を動かした。

体勢を変えるたび、胸の真ん中に激痛が走った。

薬箱から痛み止めを取り出し、口に含んで数十分、なんとか動くことができるようになった。

用事があるとき以外は、常に寝ていたくなった。

まるで胸に鉄板が入っているかのように呼吸ができなくなってきた。

息が大きく吸えない。

胸の中に常に異物感があった。

何か得体の知れないものがゴロゴロと詰まっている感じだ。

肺は風船の塊だから基本的に軽い。

その中に密度の濃い、重い塊がいくつも感じられた。

身体を動かすと重い塊が体勢と一緒に動き、あきらかに何か別のものが体内で育っていることがわかった。

取りたい、切り取りたい、吐き出したい、でも、どうすることもできなかった。

異物感は日ごとに大きくなっていった。

おかしいな、治るって意図してんのに。

立川のクリニックでの診察の帰り、漫画『進撃の巨人』の22巻を買った。

ストーリーは大きなひと区切りを迎えていた。

久しぶりにがんを忘れてワクワクした。

次はどうなるんだろう?

次巻の発売日は8月だった。

まじかよ、生きてるかな?

僕にはその自信はなかった。

5月になった。

3人のボクシングの教え子たちが心配して訪ねて来た。

「刀根さん、大丈夫ですか?体調はどうですか?」

「大丈夫だよ、僕治るから、心配しないで」

笑いながら返した。

しかし話を始めると咳と痰が止まらなくなった。

ゴホゴホと苦しそうに咳き込む僕を、教え子たちは心配そうに見ていた。

「僕はね、引き寄せってあると思うんだ」

僕は先日来てくれた長嶺選手と土屋選手にした引き寄せの話をまた始めた。

もしかすると、引き寄せというものが僕にとっての最後の砦と感じていたのかもしれない。

話をしているうちに、あっという間にポケットティッシュが空になった。

教え子の一人がすかさず

「使ってください」

と自分のポケットティッシュを渡してくれた。

「ありがとう」

ティッシュは血痰で真っ赤だった。

真っ赤に染まったティッシュの山を見て、教え子たちは何も言わなかった。

いや、言えなかったのかもしれない。

ある日、宅配便のお兄さんがやってきた。

「お届けものですー」

それは頼んでおいたサプリだった。

「ありがとうございます。お疲れ様です」

嗄れ声で玄関に出た。

「サインお願いします」

お兄さんは紙とペンを僕に渡した。

「ここですね」

僕はペンを受け取って自分の名前を書き始めた。

刀...根...っと。

あれ?

ペンが止まる。

根ってどういう字だっけ?

「木」の横がどうしても思い出せない。

おかしい、何十年も書いてきたのに何で思い出せないんだ。

「ちょっと待ってください」

僕はごまかすと、表札を見上げた。

そっか、思い出したぞ。

木の右側を書いた。

しかし思い出しながら書いたせいか、その字は初めて漢字を習った小学生の書いた文字のようにバランスがおかしかった。

「ありがとうございますー」

お兄さんは紙を受け取ると、足早に去って行った。

僕は呆然とした。

自分の名前が書けなくなった!

なんだ?

何が起こってるんだ?

しばらくするとひらがなも忘れてしまった。

「く」はどっちに曲がっているのかが一瞬わからなくなる。

「き」がどっちにふくらんでいるのか覚えていない。

いちいち思い出しながら文字を書いていたので、文章を書くのに時間がかかるようになってしまった。

それ以降、なるべく文字を書くのはやめた。

文字を忘れてしまった自分に直面するのが怖かった。

スマホの打ち込みも極端に遅くなった。

指の動きと文字の関係を忘れてしまったのだ。

そしてやがて、動物園のナマケモノのように、全ての動きがスローになった。

 

刀根 健(とね・たけし)

1966年、千葉県出身。OFFICE LEELA(オフィスリーラ)代表。東京電機大学理工学部卒業後、大手商社を経て、教育系企業に。その後、人気講師として活躍。ボクシングジムのトレーナーとしてもプロボクサーの指導・育成を行ない、3名の日本ランカーを育てる。2016年9月1日に肺がん(ステージ4)が発覚。翌年6月に新たに脳転移が見つかり、さらに両眼、左右の肺、肺から首のリンパ、肝臓、左右の腎臓、脾臓、全身の骨に転移が見つかるが、1カ月の入院を経て奇跡的に回復。現在は、講演や執筆など活動を行なっている。

この記事は『僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』(刀根 健/SBクリエイティブ)からの抜粋です。

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