家族に仕事、人間関係など、人生にはさまざまな悩みがつきもの。精神科医として、70年近く働いてきた中村恒子さんの著書『うまいことやる習慣』(すばる舎)には、そんな悩みとの向き合い方や受け流し方のヒントが詰まっています。多くの人を勇気づけてきた言葉から厳選して、連載形式でお届けします。
情は執着の証。たとえ家族でも、自分は自分、他人は他人。我を押し付けると、相手も自分もつらくなる。
私は、16歳のときに大阪に出てきて、そのまま地元の尾道には帰らず仕事をしてきました。
すると、「寂しくなかったんですか?」とか「不安やなかったんですか?」とか「なんでそんなに強いんですか」と尋ねられることがあります。
正直、生きていくのに寂しさや不安を感じたこともあります。
でも、生きていくしかなかった。
私が特別強いというわけでもないと思います。
イヤなことにあえばイヤな気にはなりますし、グチもたくさん言ってきました(笑)。
ただ、それでも不安や寂しさに延々と悩むことがなかったのは、「人は一人で生きていくもんや」と考えているからかもしれません。
人間関係で悩む人は本当に多いですけど、忘れてはいけません。
どこまで行ったって、人は一人なんです。
これはたとえ親子でも同じ。
一人ひとりが意志を持った別々の人間なんやから、いつも同じほうを向いて生きていくなんてできません。
「仲間が」「友だちが」といつも誰かと一緒にいることを求めたり、子育てで「仲のいいママ友ができない」、職場で「親しい人ができない」と深刻に悩みだすのは、考えるだけ損というものです。
もちろん、仲のいい友だちや同僚がいるに越したことはありません。
心のオアシスというのは本当にそうで、話を聞いてくれる人がいるだけで心はラクになりますわな。
だからといって、仲がいい人が常に自分を助けてくれるとは思わんことです。
いい距離感とあきらめが必要ですわ。
そもそも、人間関係は「水物」。
ほんのちょっとしたことでひっついたり離れたりするもんです。
人間は己の利のあるほうへすぐ流れるし、時間や距離が離れて会わなくなると、縁もどんどん薄くなる。
それが人間関係というものです。
結婚した相手が、いつも自分のことを理解してくれていて自分のことを考えてくれていることがあるでしょうか?
せいぜい新婚時代くらいのもんですやろ(笑)。
人は各々に意志がある、状況がある、人生があるし、それはどんどん変わっていくもんやと思います。
血を分けた親子でも、兄弟でも同じ。
自分のことをいつも気にかけてくれていることはありません。
それは当然のことなんです。
小さいころは目の中に入れても痛くないほどかわいがっていた子どもも、成長して独り立ちして、自分の人生を送る。
それが、親の役割。子どもの役割。人間の生き方なんです。
せやから、人が自分の期待どおりに行動してくれなかったことを寂しい・悲しいなどと思わんでほしいんです。
情っていうのは、一見いいもののように見えますけど、それは見方を変えると他人さんへの執着であって、こちらの身勝手さの証でもあるんですわ。
互いが互いを縛り合う・依存し合う関係は健全ではないし、不自然。疲れてしまうでしょう?
他人さんが自分のほうを見ていてくれているときは素直に「ありがとう」と感謝する。
そして与えてくれるだけの愛情を喜んでいただいておけばええんです。
反対に他人さんが離れていくときは、そのまます~っと離れさせてあげればええ。
「来るものは感謝していただく、去るものは追わない」が、結局お互いにとっていちばんラクなんやないでしょうか。
他人さんのことは信用せず、友だちをつくらず孤独に生きなさいという話じゃありませんよ。
人に親切にしたいときにはすればええし、連絡を取りたいときは自由に取ればええ。
言うことを聞きたいときは聞けばええし、信じたいものは信じればええと思います。
でも、人は人である、最初から最後まで各々が違う人生を生きているもんや、ということを忘れてはいかんということです。
自分は結局一人なんやと開き直っていくと、他人さんに対して必要以上に執着しなくなってきます。
そしたら不思議なことに、身軽に動きやすくなってくるんですわ。
余計なことに縛られることがなく、自分のしたいように、自分の「素」のままに生きることが怖くなくなってきます。
結果的には、そのほうが自分が付き合いたい人と付き合うことができて、いい人間関係をつくることができるもんです。
誰かに対して無性に怒りが湧いたり、心がどうにも寂しさや悲しさを感じるというときは、そんなことを考えてみるとええかもしれませんね。
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