二度と帰って来ることはないと思ってた...「生きて、戻って来た」我が家/僕は、死なない。(55)

2016年9月、医師から「肺がんステージ4」という突然の告知を受けた刀根 健さん。当時50歳の彼が「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試してもがき続ける姿に......感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)。31章までの「連日配信」が大好評だったことから、今回さらに公開するエピソードを延長。第一部のラストまでを特別公開します!

僕は死なない55.jpg

退院

7月10日の朝、妻がゴロゴロと荷物を入れるカートを引いてやってきた。

僕は衣類や日用品などの荷物をカートに入れた。

ふとメモ帳が目にとまった。

このメモ帳には何月何日にどんな検査や治療を行なったか、誰がお見舞いに来てくれたのかが詳細にメモしてあった。

6月13日に入院して、7月10日に退院か......何日入院していたんだろう?

数えてみると、今日がちょうど28日目だった。

28日か、いろんなことがあったな......

お見舞いに来てくれた人を数えると、74人だった。

こんなにたくさんの人が来てくれたんだ、ありがたいなぁ。

この人たちの想いも、今の状況を連れてきてくれたんだ。

本当にありがたい。

僕はメモ帳を胸に抱いて、一人ひとりの顔を浮かべて心の中でお礼を言った。

「今日で退院ですね、おめでとうございます」

嶋田さんが嬉しそうに笑って言った。

「本当にお世話になりました。ありがとうございました」

僕は頭を下げた。

「私も少しさみしくなります」

「僕もです。ホントにこの病院は居心地がよくて......もっと入院していてもいいかなって、思うぐらいで......」

「でも、退院が決まって本当によかったです。これからもお大事にしてくださいね」

「ありがとうございます」

嶋田看護師にお別れを言い、山越師長に挨拶をして約1カ月いたこの場所を後にした。

食堂から見える素晴らしい景色とスカイツリー。

明るい廊下や、感じのよい看護師たち。

本当にお世話になりました。

ありがとうございました。

僕は心の中で、東大病院に別れを告げた。

退院手続きを1階の入退院センターで行なった後、妻と2人で病院を出た。

入院したときと違って、外は初夏の温かい風が吹いていた。

こんな季節になっていたんだ。

横を見ると、妻が笑っている。

ああー、退院できて、本当によかった。

なんて幸せなんだろう。

病院を出て歩くと、まだまだすぐに息が切れた。

股関節もズキズキと痛んだ。

アレセンサを飲んでまだ10日あまり。

そんなにすぐには効くはずもない。

僕はゆっくり休みながら歩き、電車とバスを乗り継いで家に帰った。

「ただいまー」

誰もいない部屋に僕の声が響く。

ひと月ぶりに家に帰ってきた。

不思議な感じがした。

ここを出るとき、帰って来ることは想像できなかった。

もう二度と帰って来ることはないと思っていた。

それが、今、ここにいる。

僕は、生きて、ここに戻って来たんだ......。

胸の中がじーんとした。

「ちょっと休もうよ」

妻が言った。

「ううん、お風呂、入りたいな」

病院ではずっとシャワーだったので、湯船に浸かりたかった。

妻がすぐに湯船にお湯を張ってくれた。

湯船に浸かると、暖かなお湯の熱が身体にしみ込んできた。

手や足の指先がジンジンと喜んでいた。

あー、気持ちいいなー、お風呂って、最高。

ん?

そのとき、風呂場の床がカビで黒くなっていることに気づいた。

おっ、カビてんじゃん。

僕はタワシを取ると、ゴシゴシと床をこすり始めた。

すぐに真っ黒な汚れがお湯とともに流れ出した。

ゴシゴシ、ゴシゴシ......。

ザーッとシャワーで流すと、床はぴかぴかになった。

やった、キレイになったぞ。

スッキリだ。

ん?

何やってんだ、僕は?

退院したばっかなのに、風呂場の掃除なんかしてる......。

キレイになった床を見ながら、思わず苦笑いしてしまった。

【次回のエピソード】がんで弱った肺や身体の細胞が喜んでいる...。南伊勢の「濃密な空気」

最初から読む:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)

【第1話からまとめ読み】『僕は、死なない。』記事リスト

shoei001.jpg50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこと」として当時を振り返る第2部も必読です。

 

刀根 健(とね・たけし)

1966年、千葉県出身。OFFICE LEELA(オフィスリーラ)代表。東京電機大学理工学部卒業後、大手商社を経て、教育系企業に。その後、人気講師として活躍。ボクシングジムのトレーナーとしてもプロボクサーの指導・育成を行ない、3名の日本ランカーを育てる。2016年9月1日に肺がん(ステージ4)が発覚。翌年6月に新たに脳転移が見つかり、さらに両眼、左右の肺、肺から首のリンパ、肝臓、左右の腎臓、脾臓、全身の骨に転移が見つかるが、1カ月の入院を経て奇跡的に回復。現在は、講演や執筆など活動を行なっている。

6143Ex20k-L.jpg

『僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』

(刀根 健/SBクリエイティブ)

2016年9月、心理学の人気講師をしていた著者は、突然、肺がん告知を受ける。それも一番深刻なステージ4。それでも「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる代替医療、民間療法を試みるが…。当時50歳だった著者の葛藤がストレートに伝わってくる、ドキドキと感動の詰まった実話。

この記事は『僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』(刀根 健/SBクリエイティブ)からの抜粋です。

この記事に関連する「ライフプラン」のキーワード

PAGE TOP