がん離職で無職になった僕を落ち着かせてくれた「一冊の本との出合い」/続・僕は、死なない。(19)

「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました! 末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」をお届けします。

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そんなある日、ベストセラーになっていた『サピエンス全史』を読んだ。

そのとき、僕は「集合意識」というものがあることを知った、というかその存在が見えた。

この本では、僕たちホモ・サピエンスとネアンデルタール人の違いなどを分かりやすく書いていた。

脳も身体もネアンデルタール人の方が大きかったのに、なぜ、僕たちサピエンスの方が生き残ったのか?

その大きな違いの一つが「想像力」。

僕たちサピエンスの人々だけが虚構、すなわち架空の事物について語れるようになったのらしい。

虚構の世界とは、イメージの世界。

現実じゃなくて、想像の世界。

サピエンスの人たちは、主観的な世界観を作り出した。

それは彼らが残した壁画などを見ると良く分かるらしい。

壁画には神や呪術的なイメージがたくさんある。

その「想像力」は村や国といった集団の帰属意識、つまり「僕たちは同じ村の仲間だ」「同じ考えの仲間だ」「同じ目的の仲間だ」というような共通の感覚を作り出した。

たくさんの人が一緒に持つことが出来る「イメージ・想像の世界」を作り出したのだそうだ。

「神」もそうだし、「信念」や「信条」、「社会のルール」などもそう。

僕たちが今、普通に使っている「お金」もそうだ。

紙幣は「印刷された紙」でしかないけれど、みんながそこに「価値」という共通の認識を持っているからこそ、貨幣経済が成り立っている。

多くの日本人が、「他人の目を気にする」とか「礼儀正しい」とか、外国の人たちと違うと感じるのは、日本人がそういう『集合意識』を持っているから、ということ。

人類としては先輩だったネアンデルタールの人々は、こういったものは構築しなかったらしい。

現実生活とそれのやりくりだけにその能力を使っていたそうだ。

その結果、血のつながったせいぜい20人程度の家族単位でしかグループを作れなかった。

一方、サピエンスの人々は自らが作り上げたイメージである「私たちは血はつながっていないけれど、同じグループの大事な仲間だ」「だから、一緒に行動しよう、協力し合っていこう」に意識を合わせ、多くの見ず知らずの人たちが一緒に連携を取ることができたので、数百人規模の大きな集団を作ることが出来た。

狩りをするとき、集団が大きい方が獲物を効果的に一気に捕獲できる。

結局、その集団の大きさの差が、その後のサピエンスとネアンデルタール人の未来を決めたのだそうだ。

こうやって想像され、作られた数々の共通の概念や共通の認識を『集合意識』と呼ぶ。

注がれる「意識」というエネルギーと、それが維持されてきた「時間」を蓄えて、『集合意識』はどんどん成長する。

そして成長した『集合意識』はそれ自体が磁石のように人を引き寄せ、人々を取り込んでさらに成長する。

同じ『集合意識』の中にいることで、人は名前も知らない他人と一体感を感じ、そして協力し合うことが出来る。

野球やサッカーなどの応援する人たちを見ていれば、良く分かる。

彼らは「~のファン」という集合意識の中にどっぷりと入っている。

『集合意識』は、誰かが作った「概念」に大勢の人間の「意識」というエネルギーが集まって、より巨大なものに成長する。

それはあたかも物理的な形や重量がある存在のように認識されて、人は気づかずにその巨大な集合意識に取り込まれてしまう。

「それって、当たり前だよね」という感覚が、それだと思う。

そう、僕はそれが見えた。幻想、幻視かもしれないけれど、それは空中に漂っていた。

灰色の塊のように見えたそれは『集合意識』だった。

これが『集合意識』なんだ...。

その灰色の塊からパイプというか、太い紐というか、そういうものが伸びていて、僕に強固につながっていた。

そのおかげで、僕はその灰色の塊に飲み込まれていた。

これは、なんだ?

僕はその灰色の塊の正体を探ってみた。

それは、《農耕民族のマインド》だった。

農耕民族は先行きを心配する。

麦の収穫が少なかったらどうしよう。

コメが枯れたらどうしよう。

害虫が発生したらどうしよう。

収穫がなければ生きていけなし、収穫量というパイは決まっている。

パイは増えない。

決まったパイを分割することで、一人分の分け前が決まる。

なんとしても守らねば。

あれもやらなきゃ。

これもやらなきゃ。

集団の中で手柄を立て、受け取るパイを増やすんだ。

将来の不安を払しょくするために、今を忙しく働かなきゃ。

それは、不安を感じながら耕し、種をまき、雑草を抜き、将来の収穫のために朝から晩までひたすら働く、そういう『集合意識』だった。

日本で言うと"弥生の人たち"だ。

僕は長年のサラリーマン生活で、どっぷりと『農耕民族のマインド』に飲み込まれていたのだった。

僕の感じていた「孤独感」「無力感」は、いきなり村から追放された農耕民族が、ひとり真っ暗な森の中をさまよっているときに感じる気分だった。

『農耕民族のマインド』につながっているのだから、今の状況が不安なのは当たり前。

外せ!

つながりを外して、ここから抜けるんだ!

で、どこへ抜ける?

抜ける先は分かっていた。

僕たちには農耕民族よりさらに以前、約250万年も長きに渡って存在したご先祖様たちがいた。

それは『狩猟採取民族』だ。

日本で言うと"縄文の人たち"だ。

意外なことに、狩猟採取民族のほうが農耕民族より、食生活など含めて豊かな生活をしていたことが、最新の研究で分かってきたらしい。

人類は、農耕を始めて人数は増えたが、逆に個人の生活は貧しくなったんだそうだ。

狩猟採取民族のマインドと、農耕民族のマインドは、全く違う。

狩猟採取民族は、心配なんかしない。

貯蓄なんていらないよ。

だって食べ物がなくなったら、獲りに行けばいいじゃんか。

外に行けば食べ物なんていくらでもあるんだし。

将来のために、"今"を犠牲にする?

なんでそんなことしなきゃいけないの?

地球は限りなく豊かさ。

豊かさは、自分が創り出すんだよ。

さあ、人生を楽しもう!

さあ、歌おう、さあ、踊ろう!

縄文の人たちは、そう言って僕に手招きをしていた。

そうだ、こっちだ、こっちへ切り替えるんだ!

僕は意識を集中して、空中に浮かんでいる『農耕民族エリア』から、エネルギーラインをざっくりと切った。

えいやっ!

ブチッ!

本当に音がした気がした。

その瞬間、重苦しい将来の不安は、不思議と霞のように消えてしまった。

おっ、ラクになった~、なんだこりゃ。

次に僕は、空中に浮かぶもうひとつの『狩猟採取民族エリア』に意識のアンテナを向け、エネルギーラインをつなげた。

よっしゃ、いけ~っ!

心の中のかけ声とともにジャキィン!と見事な接続の音が聞こえた。

チェンジは一瞬で起こった。

予想もしていなかった笑いが、下っ腹から起こってきた。

くほほ。

地球は豊かさ。

何を悩んでいるのさ。

仕事なんていくらでもある。

僕は専門的スキル、経験がたくさんある。

狩りに出かけりゃいいんだよ。

仲間もたくさんいるじゃないか。

外に出ようぜ、獲物はいっぱい。

果物は取り放題。

心配ナッシング!

はっははは!

真っ暗な森の中が、いきなり実り豊かな明るい森林に変わった!

おお、僕の人生、なんて明るいんだ!

なんだったんだ、今までの僕は。

本当に不思議なほど、180度、僕の気分が変わった。

いや、こんなに簡単に気分が変わるなんて、もしかして僕は単なるアホなのかもしれない。

ははは。

もう笑うしかない。

起業家やベンチャーの人たちは、この『狩猟採取民族の集合意識』につながっているのかもしれない。

だから平然と恐れなく冒険をしていく。

不思議なことに、僕はその日から仕事の心配を、全くと言っていいほど感じなくなった。

自分が知らず知らずのうちに接続し、取り込まれてしまっている『集合意識』。

その『集合意識』につながっていることが"幸せ"であるならば、それは全然問題ないと思う。

しかし、自分が成長したり、僕のように自分の状況が変わったりして、つながっている『集合意識』が自分に合わなくなってきたとき、そこから抜け出す、あるいは切り離すことは必要なんじゃないかと思う。

少なくとも、僕はそうだった。

そして4月になった。

僕は完全に無職となった。

仕事の状況は何も変わっていなかったけれど、僕の心に焦りや不安はまったく起こってこなかった。

同じころ、妻がパートを辞めた。

「私、これからはフルタイムで働くから。4月からは収入が減るでしょ。だからその分時給が良くて時間が長く働けるところを探すから」

妻は今のパートを辞め、いろいろ探した末に別の仕事につくことになった。

「これで少しはお給料増えるから。生活費の足しにもなるね」

彼女は僕と結婚してからパートタイム以外の仕事はした事がなかった。

いや、する気がないと言っていた。

その彼女がフルタイムで働くという。

彼女も『集合意識』が切り替わったのかもしれない。

僕には彼女が頼もしく、そして輝いて見えた。

【次のエピソード】以前なら惨めに感じてたな...。がん離職し「仕事をもらうため」に後輩に会った僕/続・僕は、死なない。(20)

【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)


がん離職で無職になった僕を落ち着かせてくれた「一冊の本との出合い」/続・僕は、死なない。(19) shoei001.jpg50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。

 

刀根 健(とね・たけし)

1966年、千葉県出身。OFFICE LEELA(オフィスリーラ)代表。東京電機大学理工学部卒業後、大手商社を経て、教育系企業に。その後、人気講師として活躍。ボクシングジムのトレーナーとしてもプロボクサーの指導・育成を行ない、3名の日本ランカーを育てる。2016年9月1日に肺がん(ステージ4)が発覚。翌年6月に新たに脳転移が見つかり、さらに両眼、左右の肺、肺から首のリンパ、肝臓、左右の腎臓、脾臓、全身の骨に転移が見つかるが、1カ月の入院を経て奇跡的に回復。現在は、講演や執筆など活動を行なっている。

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『僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』

(刀根 健/SBクリエイティブ)

2016年9月、心理学の人気講師をしていた著者は、突然、肺がん告知を受ける。それも一番深刻なステージ4。それでも「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる代替医療、民間療法を試みるが…。当時50歳だった著者の葛藤がストレートに伝わってくる、ドキドキと感動の詰まった実話。

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