「よう帰ってきてくれた」亡骸を搬送してでも故郷で葬儀をして良かった

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:あめゆじゅ
性別:女
年齢:55
プロフィール:秋に、実父を送るという人生に一度だけの経験をしました。

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父は86歳。母の死後独り暮らしをしていましたが、認知症の症状が出てきたために私の暮らす関東に呼び寄せて同居したのが2年前。父は2年前までは生活の拠点が関西にあったのです。
最初、父はこちらに来るのを渋りました。父が関西を離れたがらない理由はいくつかあります。60年以上生活していた場所ですから、通いなれた散髪屋やスーパーもあれば、長い付き合いのご近所さんもいます。そこには長く暮らした思い入れだけでなく、人との繋がりがありました。そんな繋がりの一つには、父が菩提寺にした寺院もあったのです。

父はその寺院で母の葬儀を行い、母と自分の永代供養のお願いをし、自分も生前戒名をいただいていました。そのうえ檀家総代も務めていましたから、父からは「葬式はお寺の収入になるから」と何度も聞かされていたのです。私はそれがわかっていたので、必ずここでお葬式をあげると父に宣言。いざという時のための下調べも十分にしました。

認知症の症状が出ていた父は、自分でも「なにかおかしい」と気付いていたので、いつまでも独りで暮らせないのはわかっていました。私の説得に応じる形で、長く暮らした街を離れたのでした。

そして訪れた父の最期の日。あらかじめ調べておいた葬儀社に連絡し、翌日には父の亡骸を長く暮らした街に長距離搬送して、父の菩提寺で葬儀をあげたのです。

「亡骸を長距離搬送して葬儀する」。こんなことは父の一族では今までなかったことでした。また、想像もつかなかったようでした。父は長男ですからその下に5人の兄弟姉妹が連なっています。みなさん高齢になってきているとはいえ、元気でこの関西近辺に暮らしています。「兄さん、よう帰ってきたね」、「ほんまに、よう帰ってきてくれた」。父よりも年上の菩提寺の住職も含め、父は驚きとともに喜びで迎え入れられたのです。


「こうやって見ると、お兄ちゃんはお母さん似やね」

哀しみに暮れるはずの通夜振る舞いも、盆暮れに帰省した時のような賑わいです。すっかり冷たくなってしまった父でしたが、こうして親戚や兄弟姉妹に触れられ見守られて灰になっていきました。

私はそんな様子を見ながら、最期にここに連れて帰ることができて本当に良かった、お葬式は本人のためだけじゃないんだとつくづく身に染みて感じたのでした。

生前、父とは死後について具体的な話は出来ませんでした。長く暮らした地も2年前に離れたのですから、葬儀は家族葬で行いました。なので、父と付き合いのあった方には死去の報告という形で喪主の兄の名ではがきを送ったのです。すると、長く懇意にしていた方々が、父との思い出など手紙にして返してくれました。父以上に高齢の方もいますが、父の友人にも亡くなった時に連絡したほうが良かったのかもしれません。皆さんの暮らす関西での葬儀だったのですから。

父の兄弟姉妹や親戚などは、父と最期のお別れができてよかったと思っています。ですが、父の長年の友人にはどうすればよかったのでしょうか?世間では終活も馴染みの言葉になりました。ですが、昭和一桁生まれの認知症の父を目の前にして、死後の具体的な話は出来ませんでした。葬儀は一生に一度のこと。せめて、葬儀で見送って欲しいと思っている人がいるのかどうか、さりげなく聞いておけばよかったのかなと複雑な思いでいます。

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