無言だった認知症の父が口ずさんだのは「親子の思い出の歌」。その歌声は周りの人にも...

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:みわちゃん
性別:女性
年齢:61
プロフィール:自然な歌の広がりに感動。介護のあり方を学んだ瞬間でした。

無言だった認知症の父が口ずさんだのは「親子の思い出の歌」。その歌声は周りの人にも... 7.jpg

今から15年前、父(当時80歳)は介護デイサービスに通っていました。

認知症の症状が現れた父にどのデイサービスが合っているのか、本当にたくさん探しました。

設備、食事、職員の対応、プログラム...正直なところ、どこも一長一短。

職員が必要ないほどの大きな声で話したり、まるで赤ちゃんに対する話し方や態度だったり、食事は見た目からもとてもおいしそうには見えなかったり...。

ほとんどの施設に対して、今まで家族のために頑張ってきた人たちの尊厳がないがしろにされているように感じてしまいました。

それでもここならとみつけた施設がありました。

しかし、施設の送迎の範囲外だったため、私が毎日父の送り迎えをしていました。

ほとんどの施設では、絵を描いたり、貼り絵をしたり、お習字をしたり、塗り絵をしたり...その作品が展示されていたりもします。

でも、絵画や書道の経験がある人もいるでしょうし、第一、子どもの習い事と同じレベルでは物足りないのではと思ってしまいます。

歌の時間もあるのですが、「赤とんぼ」「ふるさと」のような唱歌を歌いましょうとか、懐かしい演歌など決められたものばかり。

どこか無理やり歌わされていて、心から楽しめないような感じがしていました。

そんな釈然としない気持ちを抱えながら、私が迎えに行ったある日のことです。

みなさんも送迎バスを待って部屋にいて、会話をかわすわけでもなく、とても静かでした。

それは「今日は楽しくなかったのかな...?」とも感じる空気でした。

そんな中、私は「パパ、この歌覚えている?」と父に歌いかけました。

歌ったのは『ヤシの実』。

父に教えてもらった懐かしい歌で、父も私も大好きな歌でした。

私が父に語りかけるように歌い出したところ、ふと父が口ずさみ出したのです。

すると、なんと周りの人たちも歌い始め、部屋が歌声であふれました。

やらせるのではなく、本人がやりたいという自発性を尊重すること、心と向き合う、心に寄り添うことの大切さを学んだ思いでした。

認知症の父と向き合う姿勢が変わった瞬間でもありました。

それから2年、父は旅立っていきましたが、あの歌がきっかけで、大切なものにたくさん気づけたと感じています。

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