こんにちは山田あしゅらです。
義両親の在宅介護の様子を嫁の目線で綴った ブログ『13番さんのあな―介護家庭の日常―(現・13番さんのつぼ)』。
ここに書いてきた13年間の記録をもとに今の気持ちを織り交ぜつつ、改めて当時のことを振り返ってみようと思います。
【前回】息子にとって「母親のオムツ替え」はハードルが高い?それでも誰かがやらねば...
介護生活の日常を書いてはいますが
介護者には介護者の生活があるのは当然のこと。
しかしひとたび在宅介護が始まれば、被介護者中心の生活になりがちになってしまうことも否定できません。
私が義父母の介護をしていた頃は『介護離職』が社会問題となっていました。
そして未だに仕事と在宅介護の両立は大きな課題となっています。
私の場合元々専業主婦だったこともあり仕事の継続に深く悩むことはなかったのですが、専業主婦だからとて必然のごとく義父母の介護を引き受けることに疑問が全くなかったわけではありません。
そして、そんな私にも譲れないものがありました。
ずっと続けていた書道です。
介護が始まる前はその他にも色々なことに関わっていたのですが
対外的な活動は介護の負担が大きくなるにつれ参加が難しくなり、一つ諦め二つ諦め...。
結局、最後に残ったのが『書道』だったわけです。
介護を続ける上で、『介護以外の何か』があることは、趣味であれ仕事であれとても大事なことだと思います。
それは後々までも介護者の支えになることは間違いありません。
私の場合、家の近くにお稽古場があったことも好都合でした。
義父母の介護の合間を縫って通う教室は月3回。
それでもどちらかが体調を崩したりすると休まざるを得ないことも少なくありませんでしたが、師匠やお仲間の理解に助けられ、細々続けることが出来たのです。
毎年11月は社中展が予定されており1年の成果の発表をします。
この時ばかりは師匠と弟子が集まって搬入、搬出や会期中の運営に携わることになっていました。
幸い搬入初日は火曜日。義父は在宅日ですが義母はデイサービスへ行く日です。
万全の体制で迎えるため、義父母の体調管理にはいつも以上に気を配り、搬入初日に備えました。
しかし、こんな時に限って『事件』は起こるのであります。
その前日の月曜日は文化の日で世間は祝日。
この日は逆に義父はデイサービス(祝日でもお休みにならないデイサービスです)、義母は在宅日でした。
義父の送迎時間に間に合うよう、朝食の支度を急いでいたところキッチンの隣のリビングから『ドン』と大きな音がしました。
イヤな予感と共に駆けつけると、胸を押さえてうずくまる義父が・・・。
どうやらソファに腰を掛けようとしてバランスを崩し転倒したようです。
運悪くひじ掛けに胸をぶつけてしまった義父に痛むところを聞くと「胸が痛い」と言います。
痛がる部分を確認したところ内出血もなく少し赤くなっている程度でした。
それでも心配になり湿布を貼ろうとするのですが
強がりなのか本人、「大丈夫」を繰り返すばかり。
しかもその後食卓に着くとしっかり朝ごはんを完食したのです。
デイサービスへ行く支度中も痛がる素振りを見せません。
ところが、いざデイサービスの送迎車が到着するとスタッフに向かって
...なんて、再び『痛い』アピールが始まりました。
義父お得意の『かまってちゃんアピール』発動はいつものこと。
そう思いながらもスタッフに、朝、転んで胸を打ってしまったこと、その後、朝食はきちんと食べられたことなどを説明し、何とか送り出しはしたのですが...。
この日はお天気も良くポカポカ陽気。
義母を車いすに乗せてお散歩がてらに買い物でもしようかな、なんて暢気に考えていると、デイサービスから「太郎さん、胸をしきりに痛がっているのですが...」と電話がかかってきたではありませんか。
私の頭の中では
「今日は祝日だからかかりつけは休みだし」
「夫としお氏は仕事でいないし」
「義母がいるから、家に置いて迎えに行くこともできないし」と色々なことがぐるぐる頭をめぐります。
けれど正直なところ一番の気がかりは「明日の搬入どうなるの?」ってことだったのでありました。
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