<この体験記を書いた人>
ペンネーム:濃姫
性別:女性
年齢:45
プロフィール:夫(47歳)、娘(19歳)、息子(14歳)の4人家族。義父(72歳)と義母(69歳)と半同居。
2019年1月に父(享年77歳)の容態が急変し、亡くなりました。
父は2003年に難病と指定されている脊髄の病気で下半身が麻痺状態となり、16年間も闘病生活を送っていました。
母(75歳)はそんな父を献身的に介護し、父も母には常に感謝をしている本当に仲の良い夫婦でした。
父が亡くなった後、母は父の介護という使命感から解放され、気持ちに張りがなくなってしまったのでしょう。
それからの母は心配な行動をとることが多くなりました。
食事もせずにボーっとソファに座っているかと思えば、朝からテキパキと家事をし始め、以前のような母に戻ったかと思うと、実は父の分まで食事を作っているなど不安定な状態。
これが1カ月ほど続きました。
兄(51歳)と私は心配になり、デイサービスに行ってはどうかと母に提案してみました。
しかし母は「デイサービスなんて行っても話が合う人なんていないだろうし、私は気ままな生活を楽しみたいから嫌だわ」と否定的。
なんとか説得して試しに体験してもらうと楽しかったらしく「デイサービスでお友だちもできたから通いたい」と言い出し、週3日デイサービスに行くようになったのです。
デイサービスに行くようになってから、私には以前の母に戻ったように見えていたので安心していましたが、3カ月前に家の階段を踏み外し、右脚の大腿骨を骨折して入院することになりました。
コロナ禍の影響で、面会ができるのは手術日と病院側から来院依頼があったときのみ。
着替えなどの生活用品は受付に渡して母に届けてもらい、洗濯物などは看護師さんから受け取り、母の様子が聞きたいときは病院に電話して担当の看護師さんに教えてもらっていました。
入院して2カ月が過ぎた頃、担当医から病状説明とリハビリ病院への転院の相談があると連絡があり、兄と私は病院へ行き、久しぶりに母に会うことができました。
母は思っていたより元気そうで、一緒に医師の説明を聞き、転院することにも納得していたように見えました。
しかし病室に戻り、兄と私と母と3人だけになったときです。
「荷物を整理して車に運んでちょうだい」
真面目な顔で言い出すのでビックリ。
「ママ、転院は今日じゃないから荷物はこのままでいいのよ」
「あら、そうなの? いつ転院なの?」
そう聞いてくるではありませんか。
つい数分前、医師の前では普通に話していたのに...。
担当の看護師さんからは、母は1日の中で意識がはっきりしているときと、ボーっとしているときが半々ぐらいの状態で、若干認知症の症状が見受けられると言われました。
高齢者が長期入院するとよくあることらしく、退院して日常生活を始めると普通に戻ることもあるが、心配ならば適切な施設を探しておくことも勧められました。
リハビリを終えた後、また家で一人暮らしをさせるのは心配なのですが、老人ホームに入居させるのは、なんだか母を見捨てるような感じがして悩んでいます。
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