こんにちは山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を嫁の目線で綴り始めて10年が経ちました。
前回の記事:次々届く高額商品のパンフレット。購買意欲を自制できない義父を止めるには/山田あしゅら
義母は、認知症の症状が進むにつれ次第に10秒前のことすら覚えていられなくなっていきました。
10秒前のことを忘れるとはどういうことなのか?
身近に認知症の人がいない人には理解できないことかもしれません。
例えば食前に飲む薬を手のひらに出したとします。
普通でしたらそれを口に持っていって飲む動作に移ると思うのですが、手のひらに薬を並べるうちに『飲む』ということを忘れてしまい、手の中に握ってご飯を食べ始めてしまうのです。
そのうちに落っことし、薬の存在は完全に忘れ去られてしまいます。
ですので、毎回薬を服用する際はちゃんと口に含んだかどうかまで見守る必要が生じます。
昔のことは所作も含めて不思議なほど覚えていられるのに、
直前のことが覚えられない認知症の不思議です。
問題はこういった小さなことから重大なことまで生活全般に及んでいきます。
そして時を追うごとに見守りや介助の度合いはどんどん増していくのでした。
これまでの記事でお分かりいただけると思いますが、わが家には認知症の義母のみならず違った意味で手のかかる義父もおります。
様々な問題行動に加え、病気の進行で転倒することが増えてきて、頭をぶつけ慌てて病院に連れて行くことが日常茶飯事となってきたのです。
しかし、当の義父の頭は昔のまま。以前のように動けるつもりでいるので厄介です。
実に義母以上、目が離せない存在でありました。
介護と言うと排泄や食事の介助というのが代表的なイメージですが、実はこの『見守る時間』が一番のウエイトを割かれる要因だったりするのです。
デイサービスなど各種介護サービスには本当に助けられましたが、それでも家族が担わなければならない部分は多く、全てをカバーするまでにはなかなか及びません。
家に居る間は誰かの見守りや対処が必要なのです。
わが家の場合、子(夫)の配偶者(妻)である私が介護のキーパーソンとなりました。
『本来なら実子が親の介護を担うべきである。』
こういう意見があるのは当然なことだと思います。
しかし実際問題、我が家では収入の柱を担っていた夫がそうそう仕事を休んで見守るというわけにはいきません。
介護が始まった頃はまだ息子たちの学費の支払いなどでお金が要ります。おのずと義父母の介護は専業主婦だった私の役割となっていきました。
と、いうより...
同時進行で見守りが必要になった二人を前に
手をこまねいている猶予はなく、気が付いたらキーパーソンになっていた。
...そんな感じでもありました。
おそらく私が仕事を持っていたとしても、その渦からは逃れられなかったのではないかと思います。
完全同居の憂き目とはいえ、わが家にとっては大きな試練。
誰かが担わなければ介護される側はもちろん、介護を担う側やその家庭内まで壊れかねません。
『介護は損な役回り。』
私自身も正直そんな風に思っていた時期がありました。
40代半ばから50代。人生の折り返しにそろそろ自分の時間も...と思えるこの時期を、夫の両親とはいえその介護に費やすのですからそう思わないではいられない気持ちも無理からぬこと。
その上、終わりが全く見えないのも介護なのです。
どうやって気持ちを義父母の介護に寄せていったのか
その変化を振り返りながら、今後も書いていこうと思います。
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