<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ゆうそる
性別:女性
年齢:41
プロフィール:1年半前に結婚した、一児の母です。妊娠7カ月で出産し、子どもは未熟児で生まれました。
89歳でこの世を去った祖父の認知症を、目の当たりにしたときの話です。
祖父は船大工をしていたせいかとても几帳面で、何でも手作りしていました。
孫のティーバッティングのネットや、バスケットボールのゴール、木で船や駒なども作れました。
一方、性格は頑固で時間にうるさく、お酒の燗は何分、食事の時間も決まっていました。
いつも座敷に布団を引いて仏壇の前で寝て、決まった時間に起きて仏壇に線香をあげ、何も予定がないときは炬燵に入ってテレビを見る毎日でした。
暖かい日は畑に行き、草むしりなどをするのですが、几帳面な祖父ですからピンセットで抜いたかのように、草一本もない状態にしていました。
亭主関白で九州男児らしい祖父は頼もしい存在でした。
ある日のことです。
祖父が真夜中に仏壇に線香をあげていました。
「じいちゃん、今、夜中よ。朝じゃないよ」
「あらーそーやー、早く寝たけん分からんやった」
そう答えた祖父ですが、そんな日が何日か続きました。
「じいちゃん、今、夜中」
そう言うと祖父は「うるさい」と怒りました。
おかしいと思い始めて、もしかして認知症かも、と気づくべきでしたが、あのしっかり者のじいちゃんがそんなわけはない、と信じたくない気持ちもあったのかもしれません。
ふすまを少し開けてこっそり様子を見ていると、仏壇の線香がなくなると、また線香に火をつけ立て、なくなるとまた線香に火をつける行動を繰り返していました。
部屋の中は線香の臭いでいっぱいです。
祖父がそんなことをしているのが我慢ならず、「じいちゃん、なんしよると」声をかけました。
「何もしよらん、おいは精霊流しに今からいかんばいかんと、おいは今から船ば作る」
そう言って祖父は倉庫へ向かっていました。
私は必死で「じいちゃん、夜中やし2月よ」と言いましたが、止められませんでした。
慌てて父を叩き起こして「じいちゃん、精霊流しの船作るって倉庫に行かした」と伝え、父と2人で急いで倉庫へ行きました。
「じいちゃん、まだ寒いし、暖かくなってから精霊流ししようで。船は明日おいが作るけん、じいちゃんはゆっくりしときんしゃい」
「お前が明日作ってくれるとかー。分かった。じゃあ寝ようかね」
父の言葉に納得したのか、そう言ってなんとか寝床に入ってくれました。
実は、私は介護の仕事をしています。
介護の鉄則として、普段は認知症の利用者さんの話は決して否定せず、必ず受け入れています。
それなのに、自分の身内には否定的な返答をしてしまいました。
父の祖父への返事が認知症の方への正しい対応です。
冷静になれていなかった自分にはっとしました。
その日から、祖父が認知症になったという現実を受け止めざるをえなくなったのです。
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