<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ぽに子
性別:女性
年齢:46歳
プロフィール:小・中学生の子どもがいる兼業主婦です。上の受験生、下の反抗期にと母は振り回されています。
私(46歳)の両親は、私が中学生の頃に離婚しています。
母(60代半ば)は自由奔放な人で再婚もしていますが、父は母と離婚後ずっと独身のまま過ごし、今から10年ほど前に50代で病気で亡くなってしまいました。
まさか50代という若さで死んでしまうとは思っておらず、親孝行もこれから!と思っていたときの別れでした。
心配させないようにしたかったのか、私が病状を知ったときには、もう根治はできない状態にまで悪化していました。
まだまだ親孝行し足りないし、父と孫たちで思い出を作りたかったので、すごく後悔の念にさいなまれました。
一緒にいた時間が短かったせいもあり、余計にそうした思いが強かったのです。
両親の離婚後、母と暮らし始めた私は、10代のうちは母に遠慮していましたが、20代になってからは父と年に何回か会うようになっていました。
子どもが生まれてからもできるだけ会う機会を作り、子どもと私と父の3人で会うこともありました。
父はどちらかというとおしゃべりが苦手で、聞き上手な人です。
私の話をいつもうんうん、と聞いてくれるばかりで、私自身が父の話を聞くことは少なかったかも知れません。
誰の悪口を言うこともなく、愚痴をこぼすこともなく、仕事に対しても真面目に向き合っていた人でした。
でも、父が亡くなったとき、私は父のことを全く知らないのだと感じました。
勤め先は知っていましたが、そこでどんな仕事をしていたのかも詳しくは知りません。
もっと父の話を聞いておけば良かった、と思いました。
父が亡くなった後、父の働いていた会社を訪問して社長にお会いしました。
父は入院する直前まで働いており、会社の退職手続きをすることなく亡くなりました。
そのため、相続人となった私(当時30代前半)と弟(当時20代後半)が父の代わりに退職金を受け取る必要があったからです。
父は大学を卒業してからずっと同じ会社で働いており、途中で本社勤務になってからは「社長の隣がお父さんの席なんだ」と自慢のように聞いたことはありました。
社長にとても良くしていただいていたようで、働いていたときの父の話や、どんな仕事をしていたのか、父の部下だった方たちにもお会いしました。
父は社内でとても人望があったようで、葬儀に参列していただいた社員の方々が、次々と私と弟に声を掛けてくれました。
初対面の私と弟に対する言葉から、父がどういう人だったのかが感じられました。
役職名ではなく「〇〇さん」と呼ぶ方が多いことにも気付きました。
会社を訪問した際、最後に会社で父が使っていたデスクに案内されました。
父の荷物が置いたままになっていたデスクのデスクマットには、私の結婚式の写真が大きく引き伸ばして挟んでありました。
寡黙な父だと思っていたのですが、会社では私や孫の話をよくしていたようです。
旅行に行ったことや孫の行事に参加したことも、会社で話していたと聞きました。
社員の方々が話してくれたおかげで、私の知らない父の姿が見えました。
そのとき、ようやく父の気持ちに気付いたような気がしました。
離れていた時間が長かったけれど、孫との時間も持ってほしいと思い、私は子どもが生まれてからは頻繁に父を誘っていました。
ドライな人だと思っていたけれどそうではなくて、感情を外に出すのが苦手なだけだったのかもしれません。
仕事で忙しい中、頻繁に孫の行事に誘うと迷惑かなと思うこともありましたが、迷わず声を掛けて間違いじゃなかったのだと気付きました。
若くして亡くなり、全く親孝行できなかったと思っていたのですが、社員の方々からのお話を聞いて、そうでもなかったかもしれない...と胸の中がじーんと熱くなったのでした。
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