<この体験記を書いた人>
ペンネーム:かっちゃん
性別:女
年齢:42
プロフィール:夫の家族と同居をしている3児の母です。
私が夫の家に嫁いできたのは26歳のころです。
当時は夫の祖父母も健在、弟や妹も同居、そこへ長女・次女の誕生と続き、環境の変化に追いついていくことだけでも必死でした。
当時の私に日々重くのしかかっていたことの一つは「夕飯」。
当時の流れとしては、朝ごはんを食べながら、それとなく夕飯のメニューを義母に相談します。
そこで決定すれば午前中に買い物に行きますが、そうでないこともしばしば。
いつも「夕飯何にしよう...」と考えていました。
一週間分の献立を考え、実際食べたメニューを手帳にメモしていき、組み合わせや頻度を研究する。
今思うと可愛らしい努力をしていたものです。
それでも私の独断では決められないので、予定していたメニューがそのまま作れることはほとんどありませんでした。
無事にメニューが決まって、買い物を済ませ、いざ調理となっても、食材の切り方から味付けまでダメ出しばかりでした。
メインの料理と副菜の組み合わせ、小鉢の有無など、その他の部分でもほとんどがダメ出しだったように記憶しています。
そしてあの日は、お義母さんとの会話ではメニューが決まらないままスーパーへ行き、アジの塩焼きにしようと帰宅したのです。
しかし、冷蔵庫に材料をしまう私に義母が言ったことは「こんな暑い日に、アジの塩焼きって気分じゃないよね」というダメ出し。
今であれば、何気ない会話の一つともとれるのですが、当時の私にとっては爆弾のように感じる言葉でした。
何を作っても文句を言われる、しかも言っていることに一貫性がない!
常日頃の義母からのプレッシャーが積もり積もっていた状態でした。
何かがプツンと音を切れたように、怒りがこみあげてくるのを抑えきれませんでした。
力任せに冷蔵庫のドアを閉め、「もう、うんざりです!」と義母に言い返しました。
とにかく思いのままに、それまでの不満をぶちまけたことだけは覚えています。
そして、その翌日に子どもたちを連れて実家へ帰ってしまったのです。
ちなみに、実家に帰った私を迎えにきたのは、夫ではなく義祖父でした。
義祖父はうちの父に、義母の悪口を言っていました。
お義母さんは舅に良く思われていなかったのか...そんな義実家の関係性を見た私は、なぜかそこで戻る決心をしたのです。
なぜ、そんなものを見て、当時の私が「帰ろう」と思ったのかいまだに分かりません。
そして、後で何度もこの決断を後悔することにはなるのですが...。
こうやって文章にしてみるとなんでもないことなのですが、今でもアジの塩焼きは作る気にもなりませんし、食べる気にもなりません。
実際、あれ以来、我が家の食卓にアジの塩焼きは出ていません。
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