<この体験記を書いた人>
ペンネーム:まるおじ
性別:男
年齢:53
プロフィール:専業主婦の妻と高校生、小学生の子供2人の4人家族の父です。この春、4年近い単身赴任生活を終え、自宅に戻りました。
今年83歳になった私の叔母の話です。
母は高校卒業後、姉である叔母を頼って上京し、叔母が結婚した後も同居を続けるほどの仲良し姉妹でした。
母が結婚して叔母の家を出た後も、私の両親は叔母の近所に住み、家族ぐるみの付き合いをしていました。
私の両親は当時珍しかった共働き夫婦だったのですが、私が産まれた後も私を叔母夫婦に預けて仕事を続けていました。
子どものいなかった叔母夫婦は、私を実の子のように可愛がってくれ、私もそんな叔母夫婦のことが両親と同じくらい大好きでした。
優しく裏表のない性格で誰からも好かれる叔母は、華やかな雰囲気もあって友人も多く、地味な母とは何もかもが対照的でした。
しかし、叔母は少々お人よしで、お金にルーズなところがありました。
知らない人に気前よく食事をおごったりするのはまだ良いほうで、原野商法や投資詐欺に引っかかるなど、金銭トラブルを起こしたことも度々ありました。
それでも夫である叔父が高収入だったこともあり、何とか家計をやりくりできていたのですが、20年前に叔父が亡くなってからその生活は暗転し始めました。
叔父が亡くなったばかりの頃、叔母は精神的なショックもあったのか出歩くことも少なくなりました。
経済面では生命保険や年金等、一人で暮らすには十分な貯蓄や収入があったので心配ないだろうと思っていたのですが、しばらくすると以前のように友人と旅行や外食に出かけては散財するようになりました。
貯蓄はどんどん減っていき、5年ほど前から私や母に生活費の無心をするようになってしまいました。
また、友人と出かけては暴飲暴食を繰り返していたため、健康診断の結果も年々悪化。
金銭面も健康面もこのままではとても持たないので、生活を見直すように母や私が注意しているのですが、相変らずマイペースに暮らす叔母にすっかり困り果てていました。
しかし、3年前に思わぬ形で叔母の散財がストップしました。
毎日のように友人たちと外食を続けていたことがたたり、持病だった糖尿病が悪化して入院することになったのです。
そして、その後も厳しい食事制限を言い渡され、外食もできなくなってしまいました。
お金目当てで近づいていた友人たちも離れていき、ショックを受けている叔母を見るととても気の毒に思えました。
しかし、叔母には心境の変化があったようです。
今まで友人だと思っていた人たちは、付き合うべき人たちではないと気づく良い機会だった、食生活が改善されて少しずつ健康を取り戻して外出が楽になった、これも悪いことではなかった、と言うようになりました。
叔母を心配し続けてきた私と母もやっと安心しました。
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