<この体験記を書いた人>
ペンネーム:かっちゃん
性別:女
年齢:42
プロフィール:3児の母です。双極性障害を長年患う66歳になる実母がいます。
私は42歳、3児の母です。
私の母は、私が産まれる前から双極性障害を患っていました。
うつ状態のときは、何もかもがマイナス思考で、被害妄想・幻聴など生きづらい日々が多くあったようです。
母に関してはたいていのことは「病気だから仕方ない」とあきらめにも似た感覚で受け流していたように思います。
それでも、過去を振り返ったときに「やっぱり許せない! なんで、私がそこまで言われなくちゃいけないの?」というエピソードがいくつか思い出されます。
その一つが私が29歳のときに、母から言われた言葉です。
当時の私は、長女が2歳、かつ次女を出産したばかりでバタバタした毎日を過ごしていました。
夫の両親、祖父母と同居をしていたため、里帰り出産もせず、出産後もほとんど実家に帰ることはありませんでした。
それでも、実家の母とは電話やメールで連絡をとりあっていましたし、具合が良くないときはいつものように相談にものっていました。
けれど、授乳などで睡眠時間もほとんどなく、長女のイヤイヤ期も始まっていたこともあり、正直、親身になって相談に乗るというよりは、大ざっぱに受け答えをしてしまっていました。
あの日も「何もやる気が起きない。楽しみもない」という内容を長時間にわたり話す母に、つい言ってしまったのです。
「孫に会うの楽しみだな、大きくなったかなとか思わないの? 孫がいるだけでもいいじゃない!」
そう突き放すように言ってしまったとき、母が言った言葉はとんでもないものでした。
「孫なんて、めったに会えないし、かわいいも何もない。だいたい誰の子か分からないじゃない。パパとの間にできた子かもしれないでしょ」
あろうことか父と私の子かもしれないと言い出したのです!
「そんなわけないでしょ! もういいや、切るね!」
頭にきて、電話を終えたように記憶しています。
当時の母は53歳。
今の私よりもずっと大人なはずですし、いくら被害妄想の傾向があるといえども、許しがたいセリフではあります。
その一方で私も年を重ね、当時を冷静に振り返ると「単純に寂しかったんだな。だけど素直に言えなかったんだな」と捉えることができます。
私がカチンときた内容よりも「孫にめったに会えない」という部分にスポットを当てるべきだったのだな、と今になって思います。
忙しいと言い訳をして年に2回ほどしか帰省していなかった私。
寂しい思いをさせていたのは私にも責任があったはずです。
親の心子知らず、本来の意味とは異なりますが、私自身が子どもであったがために起きてしまったすれ違いでもあったな、と少し後悔しているのでした。
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