<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ころん
性別:女
年齢:52
プロフィール:一人でいることがなんの苦にもならない天性のソロ活好き。
私見ですが「幸せになれる人とは、程よく物を忘れるのがうまくて楽天的な人」だと思っています。
私は良いことも悪いことも、無駄に記憶力が良くて忘れられず、非常に苦労しています。
よく「ひどい言動をした方はすぐ忘れるが、された方は忘れない」と言いますが、まさにそう。
「子どもだからどうせ忘れちゃうよ」はあまりに楽観的です。
うんざりするほど、私は子どもの頃に言われた大人や友人の暴言をこと細かに覚えています。
小3の給食のとき、食べ物を落としてしまったことがありました。
それをトレーに置いて下げに行ったのですが、それを見たおばさん先生が「食べなさい! そんなんだから青っちょろい顔してるんだよ!」とみんなの前で怒鳴りました。
落とした説明は聞いてもらえませんでした。
私は当時かなり目立つ色白だったとはいえ、今だにはっきり覚えています。
先生ご本人は忘れているでしょうね。
小2のとき、母(当時39歳)にプレゼントをしたくてお花屋さんに行ったことがありました。
うまく説明できないのと予算のせいで、カーネーションではなくダイダイの植木鉢を買ってしまった私。
「お母さん、プレゼント!」と渡したら「どうしてこんなのにしたの? もったいない!」とあまり喜んではくれず、庭でそのまま枯れていきました。
ショックでした。
ただ、このエピソード、実は私だけでなく、母にとっても大きな傷になっていたようです。
母は、私が30歳になるあたりから、ようやく冗談を言ったり、本音を言ったりするようになりました。
そのときにダイダイのことを謝られたのです。
「本当に子育てが下手だった。あなたには可哀相なことばかりしてしまって、小学生が花屋さんで言われた物を買っただけだろうに。思い出しただけで泣きたくなる」
そう言ってくれたことで、少し救われた気がしました。
そして、私が一番の暴言を言われてきたのは、現在82歳の父から。
「『エンドレス』って意味わかるか? 終わらないって意味。おまえの母さんは『エンドレス・バカ』だな」
私が小学生だった頃、テレビを見ていた父からそう言われショックでした。
こんな覚え方、したくなかったです。
父は今でいう「モラハラな人」で、暴言を吐くのは日常茶飯事でした。
基本的に大きな声で相手を貶める言葉を発し、自分が理解できないことは認めず、そういうときの常套句が「俺をバカにしてるのか!?」。
異常にプライドが高いので、父に不利な話をすると「なんだ、その物の言い方は!?」と威圧の言葉を毎日のように浴びていました。
このような暴言の数々は少しずつ「自己否定」として積もっていきます。
私の場合、何をやっても自信はないし、向こうが誉めようとして近寄ってきても「あれ? ダメだったかな? 精一杯やってみたんだけどな」と心は逃げる準備をしてしまいます。
でも、そこで「良かったよー!」と第一声をかけられると、緊張から一気に安心して、膝からガックリきてしまいそうです。
情けないことに、誉められることに慣れていないからです。
一方、暴言を吐き続けていた現在の父は、「子どもたちに慕われる幸せな老後を送る」と信じきっていたようです。
しかし、自分がやってきたことを考えれば「家族の絆」などあるわけもなく、私たち子どもはなるべく父に近寄らないので、父はテレビを見るだけの生活を送っています。
母は異常な我慢強さでかろうじて父と一緒にいますが、明るい人なので友だちも多く、友だちもできやすい人なので安心です。
「蒔いたものしか刈り取れない」という言葉がありますが、父を見ているとつくづく本当だなと感じます。
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