<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ウジさん
性別:男
年齢:59
プロフィール:地方都市で公務員をしています。父との折り合いやコロナで実家から遠のいている間に母が亡くなりました。
6月下旬、珍しく父(89歳)から電話がありました。
嫌な予感がしながら電話を取りました。
「...忙しいところ悪いな...できるだけ早く、会いに来てやってくれ...」
嫌な予感は半分当たりです。
実を言うと、もう間に合わない、という電話を覚悟していました。
実家を離れて大学に入り、そのまま地方都市の公務員になった私を、父はよく思っていません。
母(89歳)も似た感じでしたが、弱みを見せるのが大嫌いな父は、コロナもあって、私が実家に帰るのをかたくなに拒んでいました。
母が入院していたことも兄(62歳)が気を遣って知らせてくれなければ、私には伝えるつもりがなかったぐらいです。
2021年の4月に体調不良を訴えた母は入院となりました。
そのときは大事ないとの診断で、体調が落ち着くまで念のための検査入院となったのですが、その検査で膵臓がんが見つかったのです。
年齢的にもステージ的にも手術は困難と判断され、抗ガン治療を続けていました。
膵臓がんは発見しにくく、手遅れになることも少なくない、と聞かされていました。
このときは兄の助言を受けて見舞いに行きましたが、やはり父は面白くないようでした。
母にも「来ることないのに...」と言われてしまいましたが、すっかり弱った雰囲気に、内心では覚悟することになりました。
父が電話してくるのは本当に押し迫っているものと思い、取るものも取りあえず駆けつけました。
またコロナの感染が増え始めていた時期でしたので、病院に入るのも結構な手間で、一緒に行ってくれた妻(57歳)に至っては入れてもらえませんでした。
なんとか枕元に辿り着くと、母は人工呼吸器など色々と施された状態で眠っていました。
もう話ができるような状態ではなく、すっかり細ってしまった手を握ると、薄っすらと目を開けてくれたぐらいでした。
なんとか私のことは分かったようで、弱々しく手を握り返してくれました。
その日は安定した状態だというので、実家に戻り泊まらせてもらいました。
「母さん、お前だって分かったか?」
父がそう聞いてきました。
「多分ね、手は握り返してくれたから」
「そうか...」
父と交わした会話はそれだけでした。
次の日に見舞いに行くと、母は午前中こそときどき目を開けたりしていましたが、午後になると昏睡状態に陥りました。
父はずっと母の手を握っていました。
私がいるからと病室を空けていた兄も慌てて戻ってきて、それからはずっとみんなで病室にいて、見守る状態になりました。
日付が変わり、私が来た日から3日目に当たる日の未明に母は静かに息を引き取りました。
昏睡状態のまま、ゆっくりと呼吸が間延びしていき、やがてまさに眠るように逝きました。
不思議なくらい現実味がなく、涙も出ませんでした。
なんとか最後に顔を見せられたのは救いでしたが、父ともう少し折り合いよくやれていたら、もっとしっかりと看取ってやることができたと思います。
後悔先に立たず、今さらやり直せるわけもないのですが、それだけが心残りとなりました。
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