「自分でやりたいから...」亡き母を、不自由な体で見送った89歳の父。本当に大切に思っていたんだな...

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:ウジさん
性別:男
年齢:59
プロフィール:6月の末に母(89歳)が膵臓がんで亡くなりました。父(89)は母の葬儀に際して不自由な体を押して頑張りました。

「自分でやりたいから...」亡き母を、不自由な体で見送った89歳の父。本当に大切に思っていたんだな... 14.jpg

母(89)は令和3年の4月に体調を崩して入院し、その後膵臓がんが見つかり、抗がん治療も虚しく6月末に亡くなりました。

眠るように息を引き取った時、父(89)はずっと母の手を取って見送っていました。

「葬儀の手配って、俺たちでするんだろ?」

少し落ち着いてから兄(62)にそう尋ねましたが「俺がやるって言ったんだけどね...」と少し困惑したように答えました。

父がすべて取り仕切ると言って聞かなかったそうです。

「おふくろのことは俺がしてやらないと、ってさ」

そう兄は言いましたが、不安な様子でした。

「そんな馬鹿な話がありますか? ...わかりました。他をあたります」

父が憤慨した様子で電話をしています。

父は、私の祖父母のためにと言って若い頃に母と2人で墓地を求めていたのですが、今回合葬をお願いすると「宗派が違う」と断られたのだそうです。

「買ったときは宗派のことなんて言わなかったくせに、こうなったら...」

そう言うと電話帳などであれこれと墓地を調べ、宗派を問わずに受け入れてくれるところを見つけました。

そことの話も全て自分で済ませ「墓を変えることにした。母さんもそこに入れるよ」と決めてしまいました。

その後も父は迅速でした。

新しい墓地のつてで寺を紹介してもらい、「コロナだからな...」と言って家族葬をする葬儀場を探し、密葬の手配も済ませました。

母が亡くなってから電光石火の早業で、近親者のみのこじんまりとした葬儀を、父が喪主として執り行いました。

葬儀を終えた翌日、「車を運転してくれないか?」と父に頼まれました。

兄はもう1週間以上仕事を休んでいるので今日は出勤しないといけないとのこと。

私は忌引が残っているので、付き合うことにしました。

「最初は、〇〇さんのところだ。このリスト通りに頼む」

渡された住所をナビに入力して向かいました。

私は行ったことのない家ばかりで、不思議に思い父に聞きました。

「母さんの住所録にあった人たちだよ」

「全部回るのか? 20軒近くあるよ」

「家族葬にしたから、ご挨拶をしないといかんだろう?」

「いやでも、大変だろ...俺が回ってやるよ」

足を悪くしている父は、車の乗り降りをしたり、伺ったお宅に上がったりするだけでもなかなか大変そうです。

後部座席に座っている父が、窓の外の方を見ながら言いました。

「...いや、母さんの後始末は自分でやりたいから...。本当なら皆さんに葬儀で見送ってもらいたかっただろうに、それもしてやれなかったからな...。手間をかけて、すまんな...」

申し訳なさそうに、独り言のように言いました。

母のことを本当に大切に思っていたんだな、と改めて感じました。

母が生きているときはめったに優しい言葉をかけているのも見ませんでした。

母を送り出す作業をしながら、母への思いを噛み締めているのだろうな、と想像し、胸が熱くなるのを感じながらハンドルを握りました。

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