専業主婦からなりたい自分に。45歳で正社員の職を得るまで/中道あん

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前回のエピソード:近所の人にも...!迷惑電話魔な80歳の母に携帯を持たせ続けるか

ブランク10年の専業主婦が小さな自信を得た瞬間

末の娘が幼稚園に入園した7月の終わりの頃、私は36歳でした。
自宅から歩いて数分の場所にある会社で、偶然週3回午前中だけの仕事を見つけたのです。 まだ子供に手がかかるので、仕事をすることは考えにありませんでしたが、労働時間の短さに惹かれ、「これなら出来る!」とお小遣い稼ぎのつもりで応募しました。

仕事は、粗い砂のような石の中から黒の鉱物をピンセットでひたすら取り除く単純作業。期間限定、2ヶ月だけの契約でした。しかし、終了すると次は書類作りを頼まれ、そのうち評価試験をするようになり、クライアントに向け報告書を作るまでに。

当時、専業主婦になって10年程。家事と三人の育児に専念していたので、まさか自分がそんな仕事を任されるとは思いもしませんでした。なにせ、私がOLをしていた頃、報告書は手書き主流で、ワードもエクセルもなかったのです。進化した世の中についていけるはずがないと諦めていたところから、「私ってやればできるかも」と小さな自信を得たのです。

今振り返ってみると、それが自立への小さなはじめの一歩でした。その後、友人に頼まれ病院の薬局を手伝うことにもなり、パートを掛け持ちするように。Wワークをするとそれなりにお給料も増え、益々働くことが楽しくなりました。

「私には何もない」初めての就活にチャレンジ、経済的自立を目指す

やがて、病院の勤務だけに絞って働くようになりました。病院で働く女性と接していくうちに、自立した女性の姿に憧れるように。そして自分には「何もないなぁ」と痛烈に思うようになったのです。パートを始めて5年ほど過ぎたでしょうか。色々と仕事を任されるようになっていたこともあり、「正社員」という肩書きに惹かれるようになりました。しかし、残念ながら病院で私の正社員登用はなりませんでした。

ちょうどその頃、夫婦関係がなんとなくギクシャクし始め、いつまでも「夫の付属品のようでは嫌だ」「経済的自立をしたい」と思い、それで一念発起して初めての就活にチャレンジしたのです。

まずは、職安通い。それまでの経験を生かせる、病院の仕入や修理手配、管理する用度課の求人を探しました。元々は女性より男性に向く仕事。性別の壁、大卒以上の学歴の壁。履歴書を送付するまでにぶち当たる壁に凹みそうになりました。やっと面接にこぎつけも不採用。そこで、「雇ってくれるならどこでもいい!」と考えを改め、一番始めに採用通知が届いた調剤薬局の事務員として働くことしたのです。

ちょうど娘が中学入学、私は45歳の春でした。

職場の雰囲気が悪すぎる!辛い仕事から得た教訓

面接の時、やたらとストレス対処法について聞かれました。私は、ニコニコと笑顔で「感じた事がないので分かりません」と答えました。

その回答を聞いて、採用担当者はこの人なら続くのではないかと思ったそうです。

ストレス耐性を重視していた理由は入社後直ぐに分かりました。

なんともピリピリした職場の雰囲気、人間関係の悪さで、だいたい3ケ月もたずに事務員は辞めていくのです。

まだ30歳そこそこの事務職の責任者は、ルーティンを外れる事を嫌い、何より言葉遣いや態度が恐ろしくキツイ。私より随分と歳下の彼女から浴びせられる言葉や態度は酷いものでした。
明らかに計算間違いをしている資料の訂正を指摘すれば

「ここにはここのやり方がある」

「口ごたえしないで」と言われる始末。

もちろん、朝の挨拶は無視されます。

ストレスを感じないと豪語した私も、一ケ月経つ頃には友人が心配するほどげっそりと痩せて、あまりに辛いのでわけもなく目に涙が溜まることもありました。けれど、自分が選んだ道。自立をするためには、ここで甘えて辞めてはいけない。続けるにはどうしたらいいかと考えました。そして、問題の女性の一挙一動をスルーしようと考えたのです。

私は挨拶をするけど、彼女の挨拶を期待しない。注意を受ける時は、言葉はスルーその内容だけに注目。「仕事が遅い!」と言われてもサボっている訳ではないので心の中では「しゃーない」とスルー。

そうすることで段々と彼女の存在に慣れてきたのです。

そうこうして数ヶ月後、突然彼女は会社を辞めました。

専門知識もあり、仕事もできる。会社にとっては辞められては困る人材のはずでしたが「他の人が辞めるのを食い止めたい」と会社側。見てくれる人はいたのだと思いました。

彼女が退職する日、私に送られた言葉は「あなたは神経が図太いからきっと続くよ」でした。勿論、その日も苦笑いと共にスルーしたのを覚えています。

ふり返ってみると、パートだからと指示されるのを待つように仕事をしていたら、マンネリ化してつまらなくなっていたと思うのです。

どんな仕事もじぶんで面白くしようとすれば、アイディアが湧きやり甲斐もできて楽しむことが出来ます。そして自然と自分のスキルアップにつながり、次のステップへと続いたのだと思います。

次の記事はこちら:夫の浮気、そして関係破綻。絶対に独立する!と決めた時のこと

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中道あん
「女性の生き方ブログ!50代を 丁寧に生きる、あんさん流<」主宰。Ameba公式トップブロガー。結婚22年で夫と別居。自立した人生を送るため、正社員として働きだしました。社会人の長男、大学生の長女と同居しています。要介護2の実母は3年半同居生活の後有料老人ホームにて暮らしております。
健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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『50代、もう一度「ひとり時間」』(KADOKAWA)

20代で結婚、2男1女を授かり、主婦として普通に生きてきた。でも50代になると人生の転機が頼まれもしないのに訪れる。夫との別居、母の介護、女性としての身体の変化、子どもたちの成長。そこから見つけた「ひとりの楽しみ」をあますところなく伝え続ける、「あんさん」流のアラフィフライフ。50代からの人生を前向きに過ごすためのヒントが満載。

 

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