前回のエピソード:専業主婦からなりたい自分に。45歳で正社員の職を得るまで
最後は夫婦だけになる。夫との関係を反省した矢先に...
夫は大手企業に勤めるエンジニア。
家のことは全て私に任せ仕事に専念していました。
息子達が幼少時には数ヶ月アメリカへ。
娘が幼稚園に入園してしばらくしてから海外へ単身赴任。
その後数年間離れて暮らしていました。その間に、すっかりと冷めきった関係に。
「あばたもえくぼ」とはよく言ったもので、恋愛中は長所にも思えたいろいろなことが、目につくようになりました。
私の夫に対する態度は、お世辞にもよくなかったと思います。
でも、子供達が独立したら残るは夫婦のみになります。
自分のこれまでの態度を反省しなければと思ってちょっと話かけてみたり。
関係を破綻するあることを私が見つけたのは、それなりに前向きに努力していた矢先のことでした。
神さまからの声に背中をおされる、関係破綻
調剤薬局に転職し、初めてのゴールデンウイークのこと。
子供達はそれぞれ出かけ、夫は実家へ。
私は長い休みを利用して夫婦の寝室にあるクローゼットを整理しようと脚立に上りゴソゴソとしていると『カバンを見てみ』と耳元で声。
「えっ?何今の?」振り返って真っ先に目に留まったのが、夫のビジネスバッグでした。
普段の私は夫の物を詮索したり、携帯電話を内緒で見たりすることはありません。
(そもそも夫に興味はありませんでしたし)
几帳面な夫にしては珍しく、ビジネスバッグのジッパーは開いたまま。
不思議な声に導かれるように中を見てみたら、そこには夫が長年浮気していた証拠が入っていたのです。
驚愕の事実でしたが、不思議と悲しみはありませんでした。
あの神様の声は、ギクシャクした夫婦関係に踏ん切りをつけるよう背中を押してくれたのかもしれません。
この話を友人にすると「神様?なんで?夫婦不和のきっかけやん」と否定的な意見が出てきますが、神様は私に人生を見つめなおすターニングポイントを与えてくれたのだと思うのです。
それをどのように使うかは自分次第。
少なくとも私はあの声のおかげで「絶対に自立してみせるぞ」と覚悟が決まったのです。
チャンスを狙い続けて1年、訪れた転機
憧れて目指し始めた自立の道でしたが、この時点で必須条件となりました。
次男は私立高校3年生、大学受験が控えています。
娘は私立の中学に入学したばかりで、大学までエスカレーターで進学させる予定でした。
私は毎日のように電卓を叩き、この子達が無事大学を卒業させるにはどうすべきか?少しでもお金を貯めて、いざという時に夫と戦える経済的基盤を作る事に専念しました。
そこから丁度一年と少し過ぎたころです。
この日、私は高熱を出して寝込んでいました。
すると友人から電話がかかってきました。
急に職員の空きがでで、転職の誘いだったのです。
友人には「今より条件のいい会社に転職したい」と話していました。
有難いことに、これまでの経験が活かせ、お給料も希望する額が出るというので「私は喜んで!」と答え、翌日には調剤薬局に辞表を出しました。
守られるべきは子供の未来、婚姻費用分担請求
夫の浮気について、平静を装っていても、態度には現れていたと思います。何より辛かったのは家事をこなすことでした。家族としての愛情があるからこそ主婦業は成り立つと思うので、愛情をなくした私にとって毎日の家事は本当に辛いものでした。
なによりもご飯が美味しくない。これ以上、自分の気持ちに嘘はつけない。転職し、給料が上がって経済的基盤もある。ある日突然、それまで知らぬふりをしていた事実を突きつけそのまま別居となりました。
母子家庭の母の役割は、子供に生きる姿勢を見せること
現在は離婚や別居は珍しくはありません。
それでもやはり、子供が片親になったことを申し訳なく思っています。
父親がいないということは何かしらダメージがあるのでは?と考えたこともあります。
私に父親の変わりはできません。
そこはやはり性差があると思うのです。
なので、私が前向きに人生を楽しむ姿を見せること、その後ろ姿が子供を安心させ、心を安定させるのではないかと考えました。
実際のところ、子どもがどう思っているのかはわかりませんが、私が幸せでないと家族を幸せにはできないのは確かです。
自分の城を築くことは生きる自信につながる
シングルの私には、蓄えは大切です。
年金があてにならない今、将来のことを考えたらお金は使わずに残したい。
でも、貯めるばかりでは人生はつまらない。人生を豊かにするには投資も必要です。
夫と別居して3年、傾いていた門柱と花壇の作り変えをきっかけに自宅をプチリフォームしました。
家族が集う1階の間仕切りをなくし、ワンフロア―に。
そしてリフォームした部屋に合わせて古くなった家電・家具・カーテンを順次私好みに買い替えました。
「元の主がいなくなった家」というマイナスイメージを払拭して心地よい空間にしたかったのです。
実際に、リフォームを終えたリビングを見た時に、達成感と共に「自分も男並みに家族を支えられる」と生きる自信も得られたのです。
私にとってリフォームはまさに「自己投資」でした。
人生100年。なりたい自分に向かって
今、45歳だった私が目指した経済的、精神的に自立した女性になることはできたと思います。
私の場合、運が良かった面もあるかもしれません。
自立するために選んだ職業は決して適職ではありませんでしたが、自分なりに楽しみ、やりがいを見つけてこれまでやってきました。
そうできたのも、周りのおかげであり自然と感謝の気持ちがあふれます。
今年55歳になる私は、新たな人生の岐路に立っています。
ちょうど末っ子の娘が大学を卒業し就職するはずです。
めでたく親としての責任を果たすことが出来そうです。
そろそろ、自分の好きな事だけ、好きなようにやってみたい。
とっても怖いけれど。
人生100年の時代に突入したと言われていますが、いつ終わりがきてもおかしくはないのです。
悔いのない人生を歩んでいこうと思っています。
次の記事はこちら:同居を続けていたら亡くなっていたかも?母が施設に入居するまで
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「女性の生き方ブログ!50代を 丁寧に生きる、あんさん流」主宰。Ameba公式トップブロガー。結婚22年で夫と別居。自立した人生を送るため、正社員として働きだしました。社会人の長男、大学生の長女と同居しています。要介護2の実母は3年半同居生活の後有料老人ホームにて暮らしております。
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