才能があるかは分からない。不利な経歴でも音楽活動が続けられた理由

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ペンネーム:maro
性別:男
年齢:60
プロフィール:中学校教師を経験して後、依願退職。その後フリーで音楽活動を展開し主に作編曲を中心に活動中。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

私が高校時代から音楽の勉強をし始めたのは、音楽が好きだったことはもちろん、音楽を通して色々な人と関わりを持ちながらアンサンブルを楽しみたいとの思いがあったからです。
器楽や歌・オペラの伴奏などを通して音楽の素晴らしさを知り、それらを伝えていくことが夢を叶えることだとも考えていました。

しかし、大学4年で進路を考える頃には夢はいつの間にか消えてなくなり、安定した生活を得るという現実を歩み始めていたのです。

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思い起こせば、大学を卒業し教師時代の3年間というのは、自己を見つめるための試練だった日々であったこと、音楽という世界を改めて考えさせられた日々だったと思います。生徒達の将来を預かりながら仕事をし、自分の生き方に悩み苦しんでいた3年間、生活の安定を維持することに疲弊していた私は、意を決して退職を申し出て、自らの意思で音楽の世界へ飛び込みました。

夢にまで見た、フリーという立場で音楽に触れられる喜びが、落ち込んだ心根を奮い立たせてもくれました。そして、勇気を持って行動すれば必ず思いは叶えられる、という現実も体験することができたのです。

とは言え、音楽の世界もそんな甘いものではありません。己の音楽的力量を兼ね備えた上で活動していかないと全く見向きもされない業界。ましてや、いくらピアノが弾けたからといってもピアノの専門課程を出ている訳ではないので、よほど何か特徴のあるピアノ奏者として伴奏に臨まなければ相手にはしてもらえない世界です。

自分を売り込むため、自分にしかできない伴奏技法を、そして有名な音楽大学を出た人達とは違う感性や技量を向上させる方法を独自に開拓しながら、私でもピアノ伴奏ができる団体で存在をアピールしていきました。数をこなすというよりも、質の高い演奏ができる場を求めて歩んでいく活動をしていました。

本来であれば、私のような経歴ではクラシック系で活動していく事は中々難しいのですが、何故続けることができたのかと言うと、人一倍負けん気が強かったのだと思います。

とかく音楽の世界は、才能がないと駄目なのではないかとよく言われるのですが、自分に才能があるかどうかというのは誰にも判らないものです。恐らくですが、継続して音楽活動ができている人は、人一倍繰り返して地道な練習をし、忍耐力を兼ね備えている人ではないかと思うのです。

私が今、この年齢で継続できているのは、ただひたすらそれを繰り返して活動して来たからにほかなりません。これらが活動の基盤になって初めて、耳を鍛え上げること、クオリティーの高い音楽を創り上げることができるのだと今も確信しています。

教師を辞め、音楽を通してそんな境地に到達できた事に感謝すると共に、前向きの人生を歩む事ができた今に後悔はありません。

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