安定か芸術の道か...私が音楽教師からフリーの音楽家へ転身した理由

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ペンネーム:maro
性別:男
年齢:60
プロフィール:中学校教師を経験して、のちに依願退職。その後フリーで音楽活動をし、主に作編曲を中心に活動中。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

私が音楽の勉強をしていたのは、今から40年余り前。作曲を専攻していたこともあってか、演奏面に関してはピアノ伴奏を通して楽器・合唱・オペラの伴奏など、勉強名目で体験させられることが多くありました。でもピアノ専門で勉強している人に比べると、圧倒的に練習量が足りず、また演奏活動する方向へは殆ど思いは至らずで、安定性という面から考えて一番確信が持てる教師という道のりを選びました。

大学を卒業し無事に教員採用試験に合格した私は、地方公務員でもある中学校の教師として働き出しました。もともと教えることも好きだったので、不安感よりはむしろ就職できた満足感の方が大きくありました。

しかし、実際に学校現場で働いてみると、音楽という教科を通して情操教育を行おうとしても、音楽教科の扱い方がその時代のニーズに合っていなかったり、生徒達の感性に届かない曲を通して音楽創作する意味があるのだろうかと、など頭の中をよぎることが多くなっていきました。

そんな中、就職して約1カ月が過ぎた頃、私にとって一つの大きな事件が起きました。私の授業中に生徒が音楽室を抜け出し、音楽室のある4階から1階まで落ちてしまったのです。初任の年、必死で職を全うすべく毎日を励んでいましたが、この事件があってからというもの新聞社や週刊誌の記者が私の記事を取りたいと連日学校を取り巻き、マスコミにもこの事件のことが公にされました。

そしてこのことがきっかけとなり、就職して仕事をすることとは何なのか、自分の存在意義とはいったい何なのかという気持ちと戦いながら教師生活を過ごすことになりました。

その後何とか持ち直し、どうにか2年が過ぎ、3年目にしばらく学級担任を持てることになりました。その頃になると音楽教科とも向き合うことができるようにもなってきた代わりに、音楽系の部活動へ関われる時間が徐々に減っていったのです。担任を持ったことで生活指導が主な仕事になっていったからでした。

音楽を活かすために安定した職業を選択したはずが、結果的には一番大事にしなければいけない『音楽への道のり』がどんどん遠ざかっていってしまっている......。そんな思いに気付かされ、それからの1年間というもの、生活の安定なのか、あるいは創作活動をしたいのかという両方の気持ちで揺れ動きながら、教師生活3年目は過ぎていきました。

色々と悩んだあげく、不安定な道のりではあっても、音楽を通しての表現活動を目指したいという思いを捨て切れず、安定性を捨て、フリーとして自己表現する道を目指すことにしました。その選択をした結果、本当の『生活の安定』という意味をフリーになって知ることができたのが大きな収穫でした。

安定した職からフリーへ、自己表現の道を模索した経験というのは、今この年齢になった自分にとっても大きな財産となって活きています。

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