性別:女
年齢:49
プロフィール:実家で実母と同居中。既婚。重い障害を抱える子供を含め高校生と中学生二人の子持ちです。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
◇◇◇
もう10年前になりますが職場で知り合った友人がいました。彼女は自分の60代の父を、私は障害のある小学生の子供を介護している身。お互い同じく介護に苦しむ境遇だったからこそ理解できる苦しさや悩みを話すうちに、急速に距離を縮めたのです。彼女は当時33歳でした。
その頃は毎日本当に色々な話をし、お互いまるで数十年の付き合いをしてきたかのような信頼関係を築いていました。
その職場を辞めてからも付き合いは続き、誰よりも本当に近しい距離だったと思います。
ちょうどその頃は彼女がシングルマザーとして新たな一歩を踏み出したところで、必死に仕事に家事育児、そして介護に頑張っているその姿を尊敬もしていました。
彼女は私の子供と私を案じ、私は彼女のお父さんと彼女を案じ、本当に良い関係だったと思います。
一日中働き通しで時間に余裕のない彼女に頼まれて自宅の鍵を預かり、その頃まだ小学生だった子供達の夕食を作りに行ったことも何度もありました。
ただ、私が家に行ったとき、彼女の子供たちが学校にも行かずに寝ているなど、どんどん生活がすさんでいってるな、とは思っていました。それをそのまま彼女にも報告していました。
どちらかというと彼女は放任主義。「本人が自分で考えないとダメだから」と私から話を聞いても子供達に何かを言ったことは無かった、と後で聞きました。
それから数年経ったある日、珍しくあらたまった声で彼女から電話がありました。話がある、と呼び出され行ってみると、神妙な顔で座っています。その姿に本能的に「嫌な予感がするな」と感じた私。
開口一番、彼女は「お金を貸してほしい」と言いました。その時、正直「あぁ、とうとうきたか」と思いました。私がその理由と金額を聞くと、理由は子供が無免許でバイクに乗っていて事故をしてしまい、相手の方にお金を払わなければいけなくなった、金額は150万円だ、と。
子供がいると急な出費が必要になることがあるのは百も承知です。
ですが、彼女は子供が無免許でバイクに乗っていたことを知っていたはずで、そうなる前に止める事は出来たのではないか? ということと、そんな大きい金額のお金を私の一存で貸す事はできないので、主人に相談する旨を冷静に伝えたところ、彼女は急に「じゃあもういい」と怒り出しました。
「友人が困っているのに、なんて冷たい人なんだ」「OTAFUKUの実家はお金持ちでしょ?」「150万くらいどうにでもできるでしょ?」等、驚くようなことを次々と言われ私は唖然としました。
私の実家は別にお金持ちでもないごくごく普通の家庭ですし、例えもしそうだったとしてもそんな大金を右から左に動かせる筈がないことすら分からなくなる程に、その時の彼女は追い詰められていたのでしょうか。
唖然としつつも「事故の相手との交渉を合法的に解決できる方法を何か考えよう」と提案してみましたが全く聞く耳を持たず、それ以降あれほど頻繁にかかっていた彼女からの電話もプツリと鳴らなくなりました。
その後友人の集まりで彼女と会う機会がありましたが、私の目も見ようとせず、当然私と話をする事もなく彼女は帰っていきました。
その場で違う友人から「彼女と仲良かったよね? 何かあったの? 最近彼女がよく一緒にいる相手が少しややこしい人間で、その相手から結構な額の借金をしているみたいだよ。子供も色々大変みたい」と教えて貰いました。
そうして、彼女との付き合いは本当にそれが最後になりました。
あまりの展開にしばらくは呆然とし、自分自身の人を見る目のなさや彼女の言葉にショックと悔しさが止まりませんでした。が、結局のところ彼女にとって私は利用価値がなくなったのだ、と思えた時に何かが吹っ切れたような気がします。
日々の生活の中で何かが彼女を変えたのでしょうか。それも今となってはもう分からないことですが。
まさか何年も時間をかけて積み上げてきたと思っていたことが、瞬時に終わってしまうとは思いませんでした。でもその出来事で学んだことも多くありました。本当に色々な意味で良い勉強になったなと思っています。
ただ、暫くはまだ人間不信は引きずりそうです。
人を傷つけるのはいつの時代も人なのだと教訓になった出来事です。
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