ヤンチャしていた息子から最高の母へ。残された時間でしたい親孝行

ヤンチャしていた息子から最高の母へ。残された時間でしたい親孝行 20.jpg

ペンネーム:いずぢぃ
性別:男
年齢:52
プロフィール:52歳会社員。母、妻、娘、娘の子供(孫二人)と遠方で暮らす息子の 7人家族です。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

「一卵性親子!」
私が学生のころ、母はよく自分たち親子のことをこういって他人に説明していました。母は今でいう内縁の妻で、父親はたまに家に来る程度。このような日々が私が20歳くらいまで続きました。
私が何を考えてるか、何が食べたいか、楽しいか、悲しいか、全て把握してくれている母です。親は皆そうかもしれませんが、私の母は特別でした。

ただ、片親お決まりのパターンにはまった私は、小学校のころからヤンチャで、中学生になると悪友とつるむ毎日。高校入学ごろには、母にはかなり反抗的だったのは覚えています。

父親の収入がなく貧乏のどん底だったので、私は中卒で働く決心をし母に告げました。すると母は「高校だけは出て」と定時制を勧めてくれました。
働きながら学ぶことはやはり大変なことです。未熟な私は途中で「なぜ? 自分だけ?」という場面に陥り、登校拒否もしばしば。それでも母は黙って私を見守ってくれました。自分も夜昼働かなければならず余裕がなかったでしょうに。

親不孝のオンパレードのまま約20年が経過し、歳の離れた母も60歳を超えた頃、それなりの収入も得るようになりました。困窮した生活は続きましたが職場の同僚と結婚。フレンドリーな母親はすぐ嫁さんと仲良くなってくれました。

ただ、若い私はこれもお決まりのパターンで、嫁の味方をし、母のやり方を否定する日々が続きました。苦労してきた母によく心配されましたが、若い私は受け入れることなど出来ず、子どものころから慣れ親しんだパチンコに没頭する毎日。瞬く間に300万の借金を作ります。
「ばかか!」。泣きながら怒鳴る母の悲しい顔は、いまだに忘れられません。またもや大きな親不孝をしてしまいました。

そして、現在満90歳の母は、89歳で胃がんになってしまいました。一般的には手術はしないことが多いようなのですが、「体力があるから手術しましょう」という医師の言葉を信じ手術。そして幸いにも3カ月経ったいまはもう普段の生活に戻っているのですが、このことがきっかけで、母に恩返しをする時間は短い、なぜ今まで気づかなかったのかと思うようになりました。

今まで数えきれない親不孝を、あんなに苦労して私を育ててくれた母にしてしまいました。悔やみきれません。悔しいです。

ただ、少しは親孝行できたかな、と思うことはあります。

私には二人の子どもがおり、母にとっては孫。二人とも母に育てられたも同然です。そして下の娘が早くに結婚し、52歳の私には2歳と1歳の孫がいます。母にとってひ孫です。

その孫が笑った立った歩いたしゃべった! さらにひ孫が生まれ、笑った立った歩いたしゃべった! そのたび「こんなに喜ばせてもらって!」と母は言っていました。

ただまだまだこれから、限られた時間の中で、苦労かけた何倍もの親孝行をさせてもらう、そう決意しています。

関連記事:もっと親孝行しておけばよかった。認知症になった母と過ごして思うこと

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP