<この体験記を書いた人>
ペンネーム:マナ
性別:女性
年齢:42
プロフィール:10歳息子と夫3人暮らしのワーキングマザーです。
今から9年ほど前、実母が59歳で乳がんになりました。
その頃は、何十年も単身赴任をしていた父が地元に戻り、兄と私も巣立っていたため、久しぶりに夫婦2人の生活が始まったころでした。
しかし「亭主元気で留守がいい」とはよく言ったもの!
何年も離れて暮らしていた夫婦が、急にいつも一緒になったら疲れますよね?
母も父との生活に嫌気がさして、何度も家出をしていたそうです。
娘である私には迷惑をかけたくないから言わなかったそうですが、ちょうどその頃に胸に違和感があったそうなのです...。
でも「もうどうなってもいい!」と思っていた母はなんと放置!
たまたま話を聞いていた母の友人の勧めで、仕方がなく病院で受診したところ、すでにステージ4になっていて、慌てて私に連絡をしてきたのでした。
ステージ4はかなり末期ではという認識があったので、慌てて検索してみました。
その後、すぐに手術の日程が組まれ、通院しながら抗がん剤治療をする、数カ月に及ぶ闘病生活が始まりました。
手術をするにしても、胸を温存するか患部だけを切除するか選ぶらしいのですが、医師の説明を聞く限り、母の場合はリンパにも転移が見られるため、切除のほうが生存率を上げられるとのこと。
しかし、母は温存したいと...。
結果的に切除したのですが、娘の私も傷口を見たことはありません。
「恥ずかしくて温泉に入れなくなったことが寂しい」と聞いたことはあります。
5時間を超える大手術になり、切除したがん組織を見せてもらったのですが、大人の拳2個分くらいありました。
術後もなかなか出血が止まらず、入院生活は長引き、お見舞いに行くたびに「今日も出血量が多くて退院できないんだ」と落ち込んでいました。
やっと退院しても抗がん剤の治療は続き、母の頭も薄くなってしまいました。
そのため、その頃は外出時にいつも帽子を被っていました。
初めの頃は髪に装着するタイプのウィッグを付けていましたが、髪の毛が少なくなってしまっているので、うまくつかなかったそうです。
また、リンパも切除したため身体機能にも影響が出て、重い物は持てなかったり、疲れやすくなったりなどの後遺症と戦うことになりました。
一般的にがん発覚後5年たつと寛解といって、再発のリスクがなくなると言われています。
その間も少しの違和感・出血・めまいなどが出るたびに再発ではないか?とドキドキしていました。
気になるたびに受診、大量の薬の服用など日々の生活もままならない状態でした。
9年たった今、再発はないのですが、その間に仲の良かった親戚が同じ病で旅立ったり、髪の毛は元通りに生えてこなかったり、さまざまなことがありました。
寛解といえども、まだ闘病は続いているように感じています。
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