熟年別居をしてから7年目のchiiと言います。ここまでくるまでには本当にいろいろあり、自分でも波乱万丈の人生をおくってきたなと思います。
前回の記事:私、とんでもない人と結婚してしまったかも...夫が別の顔を見せた両家顔合わせ/chii
両家の顔合わせも無事終了し、新しい土地で新婚生活がスタートしました。
楽しいはずの新婚生活なのに、小さなことから口論がたえなくなっていきました。
たとえば冷蔵庫に卵をパックのまま入れておくと、「横着しやがって卵はひとつずつ、この卵置きに入れるんだよ」と言いながら、卵を私に投げつけてきたこともあります。
横着ではなくて、卵はパックに入れておいた方が殻についた雑菌が他の食品につかないですむからだと私は考えていたのです、それを説明しても無駄でした。
コーヒーが大好きな夫は、砂糖を大盛りで二杯もいれて甘いコーヒーを飲んでいました。
虫歯になって歯が痛くなった時に、夫は買ってきたばかりのインスタントコーヒーをドボドボと台所の流しに捨てていました。
「おまえがコーヒーなんか買ってくるから悪いんだ!」と怒鳴りながらです。
その時、私は初めて夫が怖いと思いました。
そのうち、私が口ごたえをすると暴力をふるうようになったのです。
足とか腕はいつも青あざができていたけれど、それも夫はおまえはあざができやすいタイプなんだと言って反省なんかまったくしませんでした。
口ごたえをすると鉄拳が飛んでくると悟った私は、もう夫に何を言われても言い返すことはやめようと決めたのでした。
夫を怒らせる地雷さえふまなければ大丈夫だと、その時は思っていました。
そんな時期に、妊娠していることがわかったのです。
ハネムーンべービーでした。
当時私は31歳、夫は38歳で、赤ちゃんができたと知った時は二人で喜びました。
私の心の中では、子どもができれば夫は変わるかもしれないという淡い期待もありました。
つわりもひどく昼間はゴロゴロとしていましたが、夫が帰ってくるころにはシャンとして家事にいそしむふりをしていました。
その頃から私は夫を怒らせない行動を自然に身に着けていたのです。
それでも事件はおきました。
私は妊娠中に、東京の友人の結婚式に出席したのですが、その時も信じられないようなことがあったのです。
けっこうお腹が大きくなっていたので、帰りは夫が車で迎えにきてくれることになっていました。
約束通りに駅まで迎えにきてくれた夫、車に乗り込むと夫の険しい表情に気が付きました。
機嫌が悪い、何かあったのだと私は気が付いたので、話しかけるのをやめて地雷をふまないように黙っていたのです。
アパートの部屋に帰るとそこにはびっくりする光景が飛び込んできました。
台所にあるダイニングテーブルがギザギザに切りつけられていて、近くにはガタガタになった包丁がありました。
他にも、数本の菜箸がボキボキにおられていたのです。
「なんでこんなことを?」思わず口にした私。
「おまえが東京に行くから悪いんだ、洗濯機が壊れていてむかついんたんだよ」という答えが帰ってきました。
むかついたら物を壊す、それは私が初めて知った夫の別の顔でした。
後にわかったことですが、洗濯機は壊れていたのではなくて全自動洗濯機の使い方がわからなかっただけでした。
ギザギザに傷ついたダイニングテーブルには、白いテーブルクロスをひいて傷をかくし、菜箸も新しいものを購入しました。
とにかく生まれてくる赤ちゃんのために私は頑張ろうと決めたのです。
結婚した翌年に、病院に一人で入院し、狭い陣痛室で16時間苦しんだ上に帝王切開で娘を産みました。
親戚付き合いを嫌がった夫は里帰り出産を反対したのです。
私ははじめての妊娠で不安もあり、反対を押し切り実家へ帰りました。
それが面白くなかった夫は娘が産まれたと連絡しても、一週間会いに来なかったのです。
険しい顔で会いに来たと思ったら、そこである衝撃的な言葉を言い放った夫。
私は病院のベッドで泣いて過ごしました。
これからどうなるんだろうという不安にも襲われていました。
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