高校三年生、現役での大学受験挑戦は、結局、センター試験と前期国立大一校のみの受験であっけなく終わりました。
志望大学一校だけの受験。そんなんで合格するわけがなかったのです。
【前回】貧乏母子家庭だと大学にも行けないのか。受験生の息子を苦しめた「母の判断」
こういう選択をしてしまったのは、一言で言えば、貧乏だったから。
私のパートの収入だけで、生活はとても苦しかったのです。
私立大一校受けるのに、3万円かかります。
同級生たちは、あたりまえのように、何校も受験していました。
中には、10校受けた子もいます。
試験代だけで、30万円? そんなお金、我が家にはなかったのです。
気持ちのどこかに、これだけ生活が苦しいのだから就職してほしいという思いもありました。
高校のクラスメイトには、母子家庭の男子が何人かいましたが、その一人は消防士になる挑戦をして見事に合格しました。
シングルマザーのお母さまは、私と一緒にPTA活動をしていたこともあり、同じような境遇だったのでよく話をしていたのです。
長男さんはすでに、消防士になっており、息子さん二人がともに消防士になることを聞き、正直とってもうらやましかったです。
それでも、私は息子の夢を叶えてあげたいと決心しました。
息子はどうなってしまうのか?
現役での大学受験を失敗し、浪人を決めた息子は、一時廃人のようになってしまったのです。
最初はとにかく眠り続けていました。
何日も何日も眠り続ける彼を見て、相当疲れているのだと思いました。
一年間、詰め込めるだけ詰め込んだ脳は、もういっぱいいっぱいだったのでしょう。
髪は伸び放題、青白い顔をして、ヒョロヒョロに痩せていく姿を見て、これからどうなってしまうのかと不安になったものです。
そんな中でも、「俺、塾には行かないで宅浪で頑張る」と言っていました。
貧乏がどれだけ彼を追い詰めてしまったのか。
浪人を決めてから、高校の卒業式がありました。
息子は青白い顔をして、長髪のまま出席しました。
卒業式、晴れ晴れしい顔をして、お別れの歌を歌う同級生たちの中に息子はいて、輝きを失った眼をみて、私は涙がこぼれました。
「なんでこんなに辛い思いをさせてしまったのか」
「親ガチャ」という言葉が当時にあったら、間違いなく、私の子どもたちは、ガチャガチャでハズレを引いてしまったな、と。
私がモラハラ夫と結婚しなかったら、大変な思いはしないで済んだかもしれないと、自分を責めました。
卒業式が終わり、ホームルームにも出席したのですが、そこでは生徒一人一人が将来の夢を語ることになりました。
息子はみんなの前に出て何か言っていたけれど、小さい声でボソボソと何を言っているのか、さっぱりわかりませんでした。
その後、ホームルームが終わる寸前に、彼は教室から出ていき、姿を消してしまいました。
同級生のママ友が息子の異変を感じ取って、私に聞いてきました。
「○○君、いったいどうしたの?真っ青な顔していたよ、大丈夫なの?」
「ちょっと疲れているのだと思う」
とやっとの思いで答えました。
華やぐ教室を後にして、私は自宅アパートに帰りました。
息子はとっくに帰っているはずなのに、部屋にはいなくて、夜遅くなっても、帰宅しませんでした。
私は最悪のことを考えてしまいました。
もしかして? まさか...いろいろ考えていたら、心臓がバクバクしてきたのですが、深夜に暗い顔をして帰ってきました。
無事で良かった、その時は、とにかく生きていてくれるだけでいいと思いました。
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