「女は黙って家にいろ」モラハラDV夫の異常な束縛。内緒のパートがバレてしまい.../chii

モラハラDV夫との異常な結婚生活を振り返っています。

いろんなことを乗り越えて、今やっと平穏な暮らしを取り戻すことができました。

本当に波乱万丈な結婚生活だったのですが、その中でも忘れられない出来事を書いていこうと思います。

【前回】DV父のいる実家にはもう二度と帰れない。隠れるように決行した娘の成人式/chii

【最初から読む】モラハラ結婚生活から熟年別居に至るまで。新婚旅行先のハワイで夫は豹変した/chii

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モラハラ夫の特徴に、束縛が強いというものがあります。

私の夫も、束縛が強く、私は常に行動を制限されていました。

子どもの手が離れると、だんだん自分の時間ができてきて、外に出て働きたいと思うようになっていったのですが、夫はそれを許してはくれませんでした。

家の中で働くならOKということで、私は内職をしていました。

電線のコードの加工で、1本1円で、1000本やっても1000円という本当にわりの合わない仕事。

それを娘が幼稚園に行っている間にしていたのですが、数時間でできるのは500本程度です。

その後、買い物に行けばその500円はあっという間に消えました。

当時、自営業の夫はまだ仕事がうまくいっていたので、親子3人食べていくには、充分な生活費をくれていました。

なので、お金に関して不服はありませんでしたが、相変わらず実家に帰ることや、友達とでかけることに関しては制限だらけ。

夫は「女はだまって家にいろ、ご主人さまが帰ったら三つ指ついてお帰りなさいと言え」というような考えの持ち主だったのです。

ある日、体調が悪く寝込んでいて、夫が帰宅したことを気が付かないことがあり、「俺が仕事をして帰ってきたのに、その態度はなんだ!」と怒鳴られたこともありました。

三つ指ついて頭をさげてまでは、さすがにやらなかったけれど、とにかくお帰りなさいと言わないと、すぐに怒り出しました。

夫の許しを得て、実家に一泊して帰宅した時は、夫はすごく機嫌が悪くなっていて、家に帰ると、台所のテーブルが刃物でギザギザに切りつけられていたり、菜箸がボキボキに折られていたこともありました。

その光景を見て、恐ろしくなったことを覚えています。

そして、夫を怒らせないように気を遣う日々があたりまえになっていました。

その後、娘と息子は私立の小学校に通うようになったのですが、これも夫の意思で決めました。

子どもも私も、地元の友達がいる公立の学校に行きたいと願ったのですが、それは聞き入れてくれませんでした。

2人の子どもを私立の学校に通わせるようになると、学費が大変になり、夫がくれる生活費だけでは足りなくなり、私は外で働きたいと夫に話しました。

今度は2時間くらいならいいという返事でしたが、一日二時間のパートなんてあるはずはありません。

それでも必死に探して、見つけたのが地元のタウン誌のポスティングの仕事。

一日二時間ポスティングをしても、月に1万円から2万円くらいにしかなりませんでした。

そして、だんだんと夫の仕事がうまくいかなくなり、生活費を少しづつ減らされていきました。

学費が払えなくなるので「減らされたら困る」と私が言うと、だったら公立に転校させろ!と勝手なことを言う夫。

私立に入れたのは、夫の意思。

金銭的に余裕がなくなったら転校させる? そんなことできませんでした。

子どもたちは、学校が大好きで、転校だけはしたくなかったのです。

夫のモラハラDVがひどくなり、精神的にきつくなっていた私ですが「お母さん離婚しないで、我慢して! 転校だけはしたくない」と子どもたちの声を聞き、なんとしてでも転校させずに頑張ろうと思ったのです。

それで、夫に内緒で、パートを探し働きに出ました。

それが現在も続けているスーパーのパートで、もう15年続いています。

どんなに生活が苦しくなっても、外で働いてはだめと言い続ける夫の目を盗んで、私はパートを続けました。

朝7時に仕事にでかける夫。

その後、子どもたちを学校に送り出してから家をでました。

4時間という短時間のパートだったので、なんとか夫にバレずに働くことができたのですが、困ったのは年末年始。

スーパーといったら、年末は一年で一番忙しい時期、お休みを取りづらいのです。

ところが夫は、年末年始は仕事が休みで、家にいます。

私がパートに出ていることは内緒なので、当然家にいると思っています。

毎年、年末が近くなると憂鬱でした。

一応、お休みの申請をしたのですが、理由を聞かれます。

夫に内緒で働いているからなんて、本当のことを言えるはずがありません。

仕方なく毎年、うその言い訳を考えました。

両親の介護、子どもの病気、夫の病気などを理由にし、うそをついて休み、同僚に迷惑をかけるのが、すごく嫌でした。

それから、時々家にいるかどうかを確認するために、家に電話をしてきた夫。

出ないとスマホにかけてきます。

仕事中に着信があると青くなって、折り返し夫に電話をしてみると、「どこにいるんだ! フラフラしてないで家に帰れ」と怒鳴られたものでした。

そんなこともたびたびあり、内緒で働くことに疲れはてていました。

そして、夫に内緒で働きだしてから、数年後。

ちょっとしたことで口論になり、「私だって働いている!」と言い返してしまい、パートをしていることを告白しました。

夫から帰ってきた言葉は、「家にいない女はいらないから出ていけ」でした。

その時、私にもっと経済力があったなら、すぐに家を出れたと思いますが、私のパート代だけで、子どもたちを私立の学校に通わせ続けるのは無理です。

子どもたちが学校を卒業するまでは頑張ろうと決めたのでした。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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chii

モラハラDV夫の家を飛び出し、7年目のchiiと申します。離婚には応じてもらえずに、現在も熟年別居中です。つい最近、共に暮らしていた大学生の息子が自立をして一人暮らしになりました。某スーパーでサービスカウンターの仕事をしています。パートなので生活は楽ではありませんが、結婚生活が地獄だったからこそ、現在の一人の時間に幸せを感じています。別居直後から書き出した「60代小さく暮らす」お一人様の老後がテーマの「お茶のいっぷく」を書いています。

※毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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