モラハラDV夫との異常な結婚生活を振り返っています。
いろんなことを乗り越えて、今やっと平穏な暮らしを取り戻すことができました。
本当に波乱万丈な結婚生活だったのですが、その中でも忘れられない出来事を書いていこうと思います。
【前回】「俺は他の子と違うかもしれない」親の暴力、家庭崩壊...生きづらさを訴える中学生の息子/chii
【最初から読む】モラハラ結婚生活から熟年別居に至るまで。新婚旅行先のハワイで夫は豹変した/chii
発達障害グレーと診断された息子ですが、結局はそれを受け入れずに、苦しみながらも中学生活を続けていました。
父親から否定された言葉の中で生きてきたので、自己肯定感が極端に低い子になってしまいました。
極端に自己肯定感が低い、それは娘にも言えることで、18歳で家を出た娘もまたいろいろなことに苦しんでいました。
モラハラ家庭で育ててしまったことで、子どもたちにはずいぶんと悪い影響を与えてしまったと思います。
18歳で家を出た娘は、専門学校に通いながら、アルバイトを2つ掛け持ちして頑張っていたのですが、私には、毎日のようにメールが来ていました。
父親の元から離れたい一心で、すべて自分の力で一人暮らしを始めた娘ですが、18歳はまだ半分子どもだったのかと思います。
まだ我が家から近い場所に住んでた娘は、時間がある時にご飯を食べに帰ってきました。
もちろん父親のいない時にです。
当時私ができることは、娘が帰ってきた時に、美味しいものを食べさせてあげること。
娘と息子と3人で食べる食事は、とても美味しくて、3人で暮らせたらどんなにいいだろうと思ったものです。
娘は夕飯を食べ終わると、寂しそうな顔をしながら帰っていきました。
一度、娘と一緒に夕飯を食べてくつろいでいると、夫の車の音がしました。
「お父さん、帰ってきちゃった、どうしよう」と、2人で青くなったのですが、玄関と反対側の居間の大きな窓から外に出て、夫にばれないように逃げるように帰りました。
なんで自分の実家なのに、こんなことをしなければならないのか。
私は娘が可哀想で、申し訳ない気持ちでいっぱいになったものです。
モラハラ夫には、娘が家を出たと知った時、「あいつは勘当だ、二度とこの家の敷居をまたがせない、もし会ったらひっぱたいてやるからな」と脅されていたのです。
「18歳になったら出ていけ」と自分で、散々言っておきながら、「勝手に出ていきやがって許さない!」とプンプン怒っていた夫でした。
私はモラハラ夫のその言葉を聞いていたので、娘が帰ってきた時は、いつもハラハラしていました。
これ以上、娘を傷つけたくなかったからです。
その頃もモラハラ夫は、何か気に入らないことをみつけて、私を家から追い出しました。
たとえば、台所のふきんがきれいに洗っていないとか、テレビの前がほこりだらけになっていたとか、私の失敗を探します。
そして鬼のような形相で怒り出す。
「おまえは何もできない女だ、おまえみたいな女はいらないから出ていけ」
と自分のストレスを私に向けてきました。
追い出されて向かったのは、いつも娘の部屋です。
娘は温かく迎えてくれました。
たまに息子も追い出されることがあり、私と息子は娘の部屋で三人で川の字になって寝ました。
娘が「お母さん、ここで3人で暮らしてもいいよ」と言ってくれました。
私もそうしたい気持ちは強かったのですが、当時、息子がまだ私立の中学に通っていたので、学費がかかりました。
私のパート代だけでは、とても学費と生活費の捻出はできなかったし、3人でワンルームに住むのは現実的に無理でした。
そして泣く泣く夫のいる家にもどるのですが、夫は、何事もなかったような顔をして元の生活にもどります。
当時はそんなことの繰り返しでした。
心の中では、一日も早く逃げたいと思いながら、がまんするしかなかったのです。
来年、29歳になる娘は一児の母となり、試行錯誤の中、子育てに奮闘しています。
もちろん父親には18歳で家を出てから一度も会っていません。
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