モラハラDV夫との異常な結婚生活を振り返っています。
いろんなことを乗り越えて、今やっと平穏な暮らしを取り戻すことができました。
本当に波乱万丈な結婚生活だったのですが、その中でも忘れられない出来事を書いていこうと思います。
【前回】中学で非行に走った長女。「娘さんは寂しいんだよ」の言葉にドキッ/chii
【最初から読む】モラハラ結婚生活から熟年別居に至るまで。新婚旅行先のハワイで夫は豹変した/chii
別居中のモラハラ夫は、男尊女卑の気質が大きく、跡取りではない女はいらない、どうせいずれどこかの馬の骨にやることになるんだからと、娘にはつらくあたっていました。
18歳になるまでは育ててやるけど、18歳になったら出ていけと常々言っていました。
これが本心だったのかは今でもわかりません。
時々、娘と買い物に行くのを楽しみにしている夫もいたからです。
18歳になったら出ていけと言われ続けた娘は、高校生になってアルバイトにあけくれるようになっていました。
一人暮らしをするための資金作りのためです。
夜にはインテリアの雑誌を見て、こんな部屋にしようかなと、なんだかとっても楽しそうでした。
当時の私の感情は、娘がいなくなったらどうしよう、寂しすぎて生きていけないという気持ちと、本当に早くこの家から自由にしてあげたいという気持ちで揺れていました。
そしてとうとうその日がやってきたわけですが、娘は出ていく日の前日に、「お父さん育ててくれてありがとう、私立に行かせてくれてありがとう」と感謝の言葉を述べ涙を流していました。
夫は何をいまさら、なんて顔をしてキョトンとしていました。
娘が本当に出ていくなんて思ってなかったのです。
娘の引っ越しは、夜逃げのような引っ越しでした。
夫にみつからないように、コソコソと必要なものを運びました。
遠くに行くのは怖いからと、一番最初に借りたのは、自宅から徒歩15分くらいのワンルームマンションでした。
家賃は4万円くらいだったと思います。
前日には、タクシーで布団を運び、カーテンや家電など必要なものを少しづつそろえていきました。
高校の卒業式の前日に、娘は出ていきました。
高校の卒業式へは、別々の家から出席することになったのですが、遠くから娘の姿を見て涙があふれました。
娘の姿はキラキラと輝いていて、とてもうれしそうだったけれど、現実は厳しいものだったのです。
娘が出ていった日、夫は娘の居場所を聞いてきました。
「〇〇はまだ帰ってこないのか?」
「一人暮らしをするからと出ていったよ」
というと顔を真っ赤にして怒っていました。
「なんだと?好きなことしやがって、あいつはもう勘当だ! この家の敷居は二度とまたがせない」と言ったのです。
自分があれだけ18歳になったら出ていけと言っていたのにです。
一番寂しそうだったのは当時9歳だった息子です。
父親が暴れた時、母親が家を追い出された時、どんな時も寄り添ってきた二人でした。
「お姉ちゃん、もう帰ってこないの?」とかなりショックを受けた様子で、しばらく元気がありませんでした。
私はというと、娘をモラハラ家庭から解放させた安堵感と、寂しさとで複雑な心境でした。
娘は美容師になる夢をもっていたので、地元からは二時間かけて東京の専門学校に通っていました。
学費も仕送りもしてあげる余裕はなく、娘はアルバイトを掛け持ちして奨学金も借りて、なんとか学生生活を続けることができていました。
私ができることは、娘のマンションにお惣菜を運ぶことくらいでした。
そのうちに、娘は無理がたたって身体を壊します。
「お母さん、扁桃腺が腫れた」
「お母さん、熱が38度もある」
「お母さん助けて」
という連絡がしょっちゅうくるようになっていきました。
昼間はパートをし、夜はモラハラ夫の目があったので、すぐに娘の所へ駆けつけることがなかなかできませんでした。
だいぶ後に、娘から聞いたことですが、毎日寂しくて部屋に帰るのが嫌でウロウロしたり、家族連れを見ては、自分は孤独だと泣いていたそうです。
私の前では気丈にふるまっていた娘ですが、実は孤独の中でもがいていたようです。
最近、60歳で一人暮らしを始めた私は、今になって娘の孤独感が痛いようにわかります。
18歳であんな思いをさせてしまったこと、そして今でもですが、帰る実家をなくしてしまったことをとても申し訳なく思っています。
そんな娘は、現在28歳、さまざまなことを乗り越えて、強くなりました。
今はゼロ歳児の男の子のママです。
父親であるモラハラ夫には、10年間一度も会っていません。
娘が結婚したこと、一児の母になったことも知りません。
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。