<この体験記を書いた人>
ペンネーム:gaspal
性別:女性
年齢:42
プロフィール:私(42歳)、夫(53歳)、小学5年生息子の3人暮らし。共働き家庭です。
私の大叔母(祖母の妹。92歳)は、新幹線でないと行けない遠方に一人で暮らしています。
大叔母は今から70年以上前、教職に就いたのち結婚・出産。
その後も仕事を辞めずに働き続けました。
当時、出産後も働き続ける女性はかなり珍しかったようです。
定年退職後も自宅を改装して、なんと90歳となる2020年のコロナ蔓延の前まで、生徒さんを自宅で個人的に教えていました。
趣味も多彩で、和裁に洋裁、華道、書道、琴に精通しています。
しかも全てが師範の腕前です。
また、時間ができると、10年以上前に亡くなってしまったご主人と夫婦で国内はもちろん、世界中を旅行していました。
ご主人が亡くなってしまい、しばらくは落ち込んでいたものの、元気を取り戻したあとは友人たちと旅行三昧です。
近くに住む一人息子のお嫁さんとは、一緒にスイミングスクールに通っていました。
80歳を過ぎてバタフライが泳げるようになったと聞いたとき、私はそのバイタリティに驚きました。
親戚からは「スーパーおばあちゃん」と呼ばれています。
フットワークがとにかく軽く、また人に押し付けがましくなく、いろいろな人への面倒見がよく、気遣いにあふれています。
それでも高齢になり、コロナもあって好きな旅行に行けなくなったためか、足腰がすっかり弱ってしまいました。
そしてとうとう、自宅で転倒してしまい手首を骨折してしまったのです。
それでも、お嫁さんやご近所さん、友人たちが毎日(コロナを気にして)ドアノブに料理や差し入れを持ってきていると聞きました。
私は遠方なので、電話でときどき話して「もし機会があったらでいいから送ってね」と頼まれたものを送ります。
骨折した本人は落ち込んでいるのかと思いきや、話を聞いて感心してしまいました。
「皆さんがこんな90歳過ぎた、おばあちゃんを気にしてくれてね。申し訳ないわ。〇〇ちゃん(私)も、私の骨折が治ってコロナが収まったら、自慢の郷土料理を振る舞うから遊びに来てね」
こんなことも言っていました。
「家の中にいるしかないから、仕方がなく私も『終活』してるけどね。物が多過ぎて終わりが全く見えないわ」
いつも電話で話したあとは「いろんな人から、とても慕われている大叔母のように私もなりたいな」と、私のほうが元気をもらっています。
骨折が治ってコロナが落ち着いたら、大叔母の美味しい郷土料理を一緒に作って「全快祝い」をしたいです。
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