<この体験記を書いた人>
ペンネーム:まー子
性別:女
年齢:38
プロフィール:持病の悪化で帰省したはずが、自分の家に帰りたくなくなってしまいました。
私(38歳)は持病の難治型アトピー性皮膚炎が悪化したため、20年ぶりに実家に療養の為帰省し、5カ月間両親(70代)と暮らしていました。
現在は身体が動かせるようになったので、東京の自分の家に帰って来ています。
20年ぶりの両親との生活は、想像以上に楽しく、新鮮で、家族なのに今まで気づかなかったお互いの良い部分や、見たくないところも見えました。
そして闘病生活を共に乗り越える中で団結力や信頼関係が築けることが嬉しく、久しぶりに幸せで、満たされた日々を送ることができたのです。
私は両手の皮膚が病気の症状でドロドロになってしまったので、日常の家事は全て母がサポートしてくれました。
頭を洗ってくれて、シャワーを浴びられない代わりに身体を拭いてくれていました。
帰省して4カ月がたった頃、身体が段々と動かせるようになった私は、夫の待つ東京の家に帰ることを考え始めました。
ただ、療養のために来ていた実家は、いつからか20年の月日を埋め、かけがえのない日常に変わっており、帰ることを考えると寂しさで胸が痛むほどでした。
ついに1カ月後に東京に帰る、と決めた私に、母は思い出にと私たちの大好きな軽井沢へ日帰り旅行を提案してくれました。
ちょうど紅葉シーズンだったので、軽井沢では特に何をするでもなく、美しい森の中を母とひたすら散歩して過ごしました。
その時、母がふと立ち止まって言うのです。
「あなたが帰ることを想像すると寂しい。病気で帰って来たとはいえ、20年ぶりに過ごせて本当に楽しくて嬉しかった。今までありがとう」
母の目に涙が溜まっていました。
私もつられて泣きました。
お礼を言うのは私の方なのに。
そのときに両親と過ごした4カ月間が走馬灯のように頭にフラッシュバックしました。
どんなに有難い環境で、私は常に愛されていて幸せだったか。
母親からもらう無償の愛には他の何物もかなわない、そんなことを思いました。
そしてついに迎えた別れの日の前夜。
夕飯は私の食べたいものを作ってくれた母。
私は最後に支えてくれた家族への感謝の言葉を口にした途端、涙が勝手に溢れてきて言葉になりませんでした。
食べることもできず、私は感謝と寂しさが絡まる感情の中でただ泣いていました。
病気になってとても辛かったけれど、家族からの無償の愛情に気付け、人に助けを求めることの大切さを学び、なくてはならない経験になりました。
これからは病気と仕事、日常生活の両立をマイペースに頑張っていけたらと思います。
家族にも、時間が許す限りもっと会いに行こうと思います。
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