「妻がありがとうと言ってくれた」寡黙な夫の本心に触れて号泣。余裕がない中、優しさに満ちた夫の言葉

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:gaspal
性別:女性
年齢:42
プロフィール:夫は51歳、私は42歳、小学生の息子1人の3人家族。共働き家庭。

「妻がありがとうと言ってくれた」寡黙な夫の本心に触れて号泣。余裕がない中、優しさに満ちた夫の言葉 1.jpg

夫(51歳)と結婚して15年になります。

先日、家の中を整理していたら、現在小学5年生の息子が産まれる前から1歳頃までの「育児日誌」を見つけました。

それを読んで当時のこと、そして夫の優しさを思い出して泣いてしまいました。

そもそも夫は寡黙な性格で、感情を表に出すことはほとんどありません。

結婚してから大声を出す姿すら見たことがないので、優しい夫に思います。

その反面、夫が何を考えているか分からずに戸惑ってしまうときがあります。

特にコロナ禍になってからは、夫婦そろって在宅仕事になり、家の中で顔を合わせる時間が格段に増えました。

私が在宅仕事に慣れないこともあってストレスが溜まってしまい、些細なけんかが増えています。

そんな中、「育児日誌」を見つけて読んでみると、いろいろな記憶が甦ってきました。

妊娠中だった2011年3月11日、あの震災があった日です。

私は中部地方にあった職場に勤めていましたが、ビルが古かったせいか揺れがひどく、お腹の子が心配で精神的に不安定になってしまいました。

そして震災翌日、起床すると足がパンパンにむくんでいて靴も履けません。

驚いて病院に行くと「切迫早産の危険があります。このまま緊急入院してください」と医師に言われて入院。

トイレに行くこともできず、絶対安静が2週間続きました。

その後、自宅で1カ月安静にするように、と言われたのですが、その間、夫は私の身体を気遣いながら身の回りのことを全てしてくれました。

そして医師に「赤ちゃんは小さいけれども母体は順調ですよ。予定日の5月末に産まれると思います」と言われて安心した4月の下旬のことです。

夜中に人生で経験したことのない激しい下腹部痛と出血があり、夫と慌てて病院に行くと陣痛が始まってしまったのです。

「いざというときは申し訳ないですが、母体を優先します」

医師の言葉に混乱しましたが、難産の末、低体重児でしたが息子は無事に生まれました。

ただその後、急な出産だったのと諸事情があり、双方の実家も事情で頼れないことが分かりました。

そんな状況で自宅に戻った後、小さな息子と2人で、この先やっていけるだろうかと不安で一杯。

でも、夫は毎日仕事の合間に三食の食事を作り、夜中も何度も起きる息子をあやし、仕事、家事、育児を全面的に自然にサポートしてくれて、一度も愚痴を言いませんでした。

それどころか「育児日誌」にあった夫の言葉や行動は「妻がケーキを買ってきてくれた」「妻が今日も赤ちゃんのお世話ありがとう、と言ってくれた」など、私を気遣う優しさに溢れた言葉ばかりだったのです。

当時は毎日が必死過ぎて、夫の優しさを忘れていた私は読んで号泣してしまいました。

今も寡黙な夫ですが、息子や私を常に気遣ってくれますし、本当に感謝しています。

些細なイライラはあるかもしれませんが、これからも末長く支え合っていこうと、結婚15年を機会に改めて思った私です。

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