<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ころちゃん
性別:男
年齢:54
プロフィール:子どもたちを相手にする仕事に従事してきました。親の介護が気になる今日この頃です。
私が40歳前後に勤めていた学習塾は、複数の支部校と1000名にも及ぶ生徒数を誇る、住んでいた地域でもトップクラスの学習塾でした。
私がこの塾で働こうと決めたきっかけは、塾長の人柄です。
講師を拘束せず伸び伸びと力を発揮させる塾風は、本当に魅力的でした。
ところが塾長には早々に裏切られることになります。
塾長は、支部校の女性校長と不倫関係にありました。
ちなみに塾長の息子と娘は女性校長の教室に在籍中。
つまり、子どもたちは不倫相手の部下として働いていたのです。
また塾長はギャンブル依存症を抱え、女性校長は教室の金を塾長のギャンブルに貢いでいました。
悪いことはばれるもので、塾長と女性校長は解任されました。
実は、塾を運営する立場の社長は別にいて、塾業界の素人だったため塾長を雇っていたのです。
2人は塾を去る際に生徒名簿を盗んでいき、腹いせにほんの数十メートルの近所に塾を立ち上げました。
この世界では、保護者も含め生徒たちは塾そのものより先生についていく傾向があり、このときも多くの生徒が引き抜かれ教室は大打撃を受けました。
続いて、塾長ポスト争奪戦の始まりです。
とりあえず人の良い副塾長が塾長に就任しましたが、すぐに彼の引き下ろしが始まりました。
塾長を目指す支部校の校長たちが社長に近付き、新塾長についてあることないことを吹き込んだのです。
気の毒な新塾長は、ひとたまりもなく塾を追われました。
次に社長の一番のお気に入りが塾長に就任しましたが、争いは続きました。
彼は授業の腕など講師としての技量で遅れをとっており、血迷った方向に進みました。
彼は授業の大半をポケモンの話題で潰し、教育ではなく子どもたちの気を引くことで人気を得るという、講師としてあり得ない方法を選んだのです。
さらに模擬試験で自分の生徒たちが上位に食い込むよう、的中と称して問題を漏洩し、テスト中は机間を巡り生徒のミスをさりげなく指で教えました。
不正はそれだけではなく、私立高校の関係者を接待し、受験を有利に運ぼうと目論んだのです。
しかし悲しいかな、本格派の塾長候補たちに不正と無能ぶりを暴露され、すごすごと塾を去りました。
次々と塾長の首が切られたことで、この辺から以前にも増して不穏な空気が流れました。
塾長候補としては最下位にいた校長が、生徒と保護者を巧みに丸め込み、数名の講師も巻き込み、またも新塾の立ち上げを図りました。
彼の教室から百メートルも離れていない所に物件を借り、内装を済ませるまでは看板は隠した状態で準備をし、生徒たちには「〇月からは新しい塾で」と通達したのです。
Xデーが訪れると、本部のポストには反乱派の講師たちの退職届と、彼らが担当していた生徒ほぼ全員の退塾届が入りました。
異常な事態に幹部の1人が教室に赴くと、反乱派についていかなかった生徒が現れ、「みんな新しい塾に行った」と涙ながらに語りました。
幹部たちは総出で近所を捜索し、ほどなく新塾は発見されました。
幹部の1人が怒鳴り込んで警察を呼び、子どもたちの泣き声の中、一旦は反乱派が業務上横領で連行されました。
しかし、彼らはこうなることは計算済みでした。
あらかじめ弁護士を用意し、対抗策万全で罠をかけていたのです。
生徒たちは自分の意思で転塾しただけで、怒鳴り込んだ幹部は逆に威力業務妨害で訴えられました。
その際、怒鳴り込んだ幹部たちへの恐怖で、PTSDを発症した子どもたちの診断書もしっかり用意されていました。
この件が明るみに出ると、翌日から「どうなっているのか」と苦情の電話が殺到し、各教室に退塾の申込が殺到しました。
裁判に敗訴し苦情処理に追われ、どたばたの中まともな活動もできなくなり、塾はあっけなく閉鎖されてしまいました。
私の入社からたった4年...。
個々の人材はそこそこ優秀だったのに、ひたすら仲間割れに励み、足を引っ張り合った代償は、あまりに空しく寂しいものでした。
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