こんにちは。山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を、嫁の目線で綴り始めてもうすぐ10年になろうとしています。
義父は難病とうつ病。義母は認知症。
怒涛のごとく、ほぼ同時進行の形で始まった我が家の介護。
前回の記事:生気を失った義母の表情に唖然...。見ないフリはもうできない
もちろん当時はそれがどれだけ続くのか?この先どうなっていくのか?全く分からないままのスタートでした。
それでも不思議なもので、後で思えば節目ごと『先を見越す勘』はあったようです。
まず一番最初に働いた『勘』は『車の運転』でした。
運転免許を二十歳ごろに取ったまま、結婚後はずっとペーパードライバーだった私。
舅からこう言い渡され息子3人の子育ての最中、ずっと車なしで通しておりました。
その頃から、わりば市(我が家の所在地。作品上の仮の都市名です。)は自家用車が複数台ある家が珍しくないという車中心の町。それだけに公共交通機関の整備は悪く、車に乗れないことで不便を感じることは実にたくさんありました。
一方、70歳過ぎまで車の運転をしていた義父。
うつ病にかかるとそれが難しくなったのです。
当時、75歳以上の免許更新者全員が受けなければならない高齢者講習は、3時間程度の机上講習が義務付けられていました。
たとえ1時間でも座っていることが困難だった義父は自分から免許更新は無理だとあきらめたようです。
(しかしうつの症状が抜けたあと、再びこの免許取得問題が再燃することになるのですが...。)
あれだけ子育て中に大変な思いをしたのですから、私としては今さら...という思いもなくはありませんでしたが、通院箇所も回数も年を追うごとに増えていくであろう義父と義母。
おそらく車の運転が出来ないと先々困るぞという『勘』の方が強かったみたいです。
私は思い切って近くの自動車学校のペーパードライバー講習(約1時間、実技のみ指導)を受けに行くことにしました。
実際、義父の言う通り、ややどんくさい私。
20年前の免許取得時はかなり苦労して仮免許まで漕ぎつけた経緯があったので
さぞや困難を極めるのではと思いきや
4回ほど講習を受けると教官からお墨付きがもらえたのです。
(当時、講習1回5000円前後。私も真剣だったってのもあったかも知れませんが...。)
思えば20年前はまだマニュアル車が主流で、AT車で教習させてもらえない時代でした。
その上、車の性能も格段に上がっていましたので拍子抜けするほど運転しやすかったのには少々驚いたものです。
車の運転がその後の介護生活上、重要ポイントとなり大いに助けられたことは確かです。
(一方、それが自分の首を絞める結果にもなったのですが...。)
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