もう逃げられない...30歳目前、人生は破たんに向かっていた/発達障害の仕事術

pixta_41059820_S.jpg仕事や人間関係がうまくいかない...「もしかして自分は大人の発達障害なのでは?」と悩む人が増えています。しかし、その解決策を具体的に示した本は少ないのが現状です。

本書『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』は発達障害の当事者が、試行錯誤と度重なる失敗の末に身につけた「本当に役立つ」ライフハック集。うつでもコミュ障でも、必ず社会で生き延びていける術を教えます!

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前の記事「「世界の中心は自分自身」が招いたのは決定的な社会性の欠如だった/発達障害の仕事術(4)」はこちら。

 

発達障害を甘く見ていた──自分が 30 歳になるなんて信じられなかった

僕は大学生の頃には自分が発達障害であることに気づいていました。通院もしていました。もっと早く発達障害の対策に入ることは可能だったと思います。そして、そうしていればまた違う未来があったのかもしれません。しかし、ある意味運が悪いことに、新卒で就職するまでは結構何とかなってしまったのです。

高校は落第寸前の出席日数で、人間関係はほぼ全てで破綻を繰り返し、そのたびに別の場所に逃げる。定期的に二次障害(発達障害によって二次的に引き起こされる精神の病。うつなどが代表的。僕は躁うつ〝双極性障害〟です)が出て躁うつの波を繰り返し、薬物のオーバードーズと自殺未遂を繰り返す。客観的に見れば明らかにダメです。でも、その破綻寸前の生活を僕はギリギリの線で乗り切ってしまいました。

また、中途半端にテストの成績などは良かったため、問題が中々表面化しなかったのです。大学時代も薬物とアルコール、自殺未遂などは定期的にやらかしていましたが、「圧倒的に大学が楽しい」という事実が問題にフタをしてしまっていました。また、大学は圧倒的な規模があり、人間関係を次から次へと乗り換えることが可能だったため、さまざまな問題を回避することが可能でした。

そういった生き方に自分自身が酔っていた節も多いにあります。自己陶酔ですね。これが最悪でした。また、昔から僕は弁が立ったため、直面した大きな問題を口先だけで何とか乗り切ってしまえる能力がありました。そしてわずかではあるものの、僕のそういった性向を承認してくれる人間の確保にも成功してしまっていたのです。

彼らは僕が破滅的に振る舞えば振る舞うほど喜び、承認を与えてくれました。このようにして、僕の反社会性は 20 代になっても衰えることなく保存されていったのだと思います。

僕は自分に 30 代があると思ったことがありませんでした。 20 代も後半にさしかかるまで、 30 代なんて僕にはない、自分は 20 代で死ぬ。そういう根拠のない確信を抱いて生きてきました。人生の問題を解決する必要性すら感じていなかったのです。自分自身に大きな問題があることには気づいていました。いつかそれは避けようがなくやってくるだろう、とは思っていました。

でも、その前に死ぬだろうとはもっと強く思っていました。根拠のない楽観と悲観を実に器用に使いこなして現実から逃避していたのです。本当に我ながら器用なことをしていたと思います。

発達障害という人生の問題と真正面から向き合ったのは、実はそれほど古い話ではありません。ほんの数年前の話です。定期的にきちんと医者に通い、服薬を欠かさず、さまざまな生活上の工夫を実践する。他者への共感的な振る舞いを試みる。定型発達者の考え方をエミュレートする。そのような習慣を身につける努力を始めたのは、 25歳を超えてからでした。

もっと早く僕が圧倒的に打ちのめされる機会に遭遇していれば、事態はここまで悪化しなかったのかもしれません。でも、気づいたときには全てが手遅れでした。逃げて逃げて逃げて、ついに逃げ切れなくなったとき、やっと人生の問題と向き合ったのが僕です。

 

生活習慣という概念を持っていなかった

僕は、今でもあまり褒められた生活習慣を持っているわけではありませんが、人生のある時期まで生活習慣を作るという概念を1ミリも持っていませんでした。

眠りたいときに眠り、目が覚めているならいつまでも起き続けていました。躁うつと不眠が事態をさらに悪化させました。現在のような適切な睡眠薬の飲み方すら、 20代の半ばになって身につけたものです。僕にとって睡眠薬は人生のある時期まで、酒のツマミでした。

精神科に行くことと酒屋に行くことの区別がついたのは、 20 歳を過ぎてからだと思います。現在、コンサータを飲むようになった僕は、適切な服薬の重要性を本当に強く認識しています。しかし、ある時期まで僕にとっての服薬とは、人生の痛みを紛らわす酩酊物質を胃に放り込むことでしかありませんでした。

 

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借金玉(しゃっきんだま)

1985年生まれ。診断はADHD(注意欠陥多動性障害)の発達障害者。幼少期から社会適応が全くできず、登校拒否落第寸前などを繰り返しつつギリギリ高校までは卒業。
色々ありながらも早稲田大学を卒業した後、何かの間違いでとてもきちんとした金融機関に就職。全く仕事ができず逃走の後、一発逆転を狙って起業。一時は調子に乗るも昇った角度で落ちる大失敗。その後は1年かけて「うつの底」から這い出し、現在は営業マンとして働く。

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『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』
(借金玉/KADOKAWA)
社会生活がうまくいかず苦しむ「大人の発達障害者」が増えていると言われる現代日本。発達障害によって30歳を前に人生をほぼ破たんさせかけた著者が、試行錯誤で編み出した「発達障害者のため」の今日から使えるライフハックを多数紹介! 仕事や人間関係がうまくいかない全ての人のための「日本一意識が低い」自己啓発書です。

この記事は書籍『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』からの抜粋です
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