【風、薫る】あまりに痛切で、秀逸な見上愛の芝居。2つの「正しさ」に揺れるりんが笑顔を崩せない切実な事情

毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今回は「りんの笑顔の裏にある切実さ」について。あなたはどのように観ましたか?

【前回】がん告知を巡る夫婦の思いに向き合うりん(見上愛)。「正しさ」の外側で彼女が手を伸ばした「嘘」

※本記事にはネタバレが含まれています。

【風、薫る】あまりに痛切で、秀逸な見上愛の芝居。2つの「正しさ」に揺れるりんが笑顔を崩せない切実な事情 pixta_139964600_M.jpg

田中ひかる著『明治のナイチンゲール大関和物語』(中央公論新社)を原案とするオリジナル作品で、見上愛、上坂樹里がW主演を務めるNHK連続テレビ小説『風、薫る』。第15週「差し出せぬ手」は、前週にりんが山本の背をそっと押した手が、今度はどこにも差し出せなくなる一週だった。手を伸ばすことこそ看護だと信じてきたりん(見上愛)が、その手を失っていく。看護とは何かという、この作品が問い続けてきた主題が、いちばん重い形でりんに返ってくる。

前週、りんの手を借りて病院を抜け出した山本(本田大輔)は、妻テイ(伊勢佳世)のもとへ帰る。手術をして良かった、お前のおかげだ。そう告げるのは、それを勧めたテイに悔いを残させないためだ。「いっそこのまま一緒に」と漏らすテイに、お前が生きていてくれれば、あの世から眺めて楽しめる、とおどけてみせる。だが、口がきけなくても、寝たきりでもいい、1日でも長く生きてほしいというテイの願いを聞いて、山本は自分から、もう一度病院で診てもらう、とりんに申し出る。「またな」「またね」。そう交わした挨拶に、次はなかった。

病院へ戻った山本が、りんに遺した最後の言葉は「助けて」だった。軽口とホラで人を笑わせてきた男が、飾りをすべて落として口にした一言に、りんは「もう嘘はやめてください」「起きてください」と、泣きながら呼び続ける。報せを受けて駆けつけたテイは、なんで死んじゃったの、とつぶやく。

患者を院外へ連れ出したりんは、本来なら重い処分を受けてもおかしくない。だが今井教授(古川雄大)は院長の多田(筒井道隆)に、帰宅が引き金になった可能性はあっても、外出しようが院内にいようが急変はありえた病状だと伝える。りんは処分されず、いつも通り働くよう命じられる。ただ、それはりんを守るためではない。病院に落ち度はなかったとするために、みなが足並みをそろえる。りんがとがめられないのも、その一部だ。守られているのは、りんではなく病院なのである。

りんが礼を言おうとすると、今井は突き放す。命を助けることを何より優先せねばならない、患者の気持ちを医者の判断より上に置いた君は、医療に携わる者として失格だ、と。ただし、と彼は続ける。自分が患者なら、あるいは君の友人が患者なら、命より重んじるものがあるという考えを否定はしない。だが君は看護婦だ。人としての情と、医療者としての職分。今井は、その二つをはっきり切り分けて突きつける。

眠れないまま早起きし、お膳を磨き、娘・環の弁当をつくるりん。その姿に母・美津(水野美紀)は、人はどんなときも生きていかねばならないから、とつぶやく。しかし、りんは看護ができなくなる。脈をはかる、包帯を巻く、その手が動かない。直美(上坂樹里)の前で取り乱し、りんは泣く。山本の最期に、自分は何もできなかった。助けるとは、何だったのか。

長屋ではトヨ(松金よね子)が急変する。駆けつける直美に同行したりんは、途中で手が止まり、外へ飛び出して過呼吸に陥る。トヨは、直美のそばにいるりんを見て「いい人に出会ったね」と言い残し、息を引き取る。「何もできなかった」と悔やむ直美に、大家は、長屋のみんなに見守られて逝ったのだから大往生だ、と返す。だが、もし入院できていたら、医者に診てもらえていたら、トヨはもっと生きられたかもしれない。看取りの場所をめぐるこの揺れは、いまの日本にも通じる。厚生労働省の人口動態統計によれば、1951年には自宅で亡くなる人が全体の82%を占めていたが、その割合は下がり続け、2015年には13%まで落ち込んだ。亡くなる場所は家から病院へと移り、いまも最も多くの人が病院で亡くなる。近年は病院死がゆるやかに下がり、自宅や介護施設で最期を迎える人も少しずつ増えてはいるが、自宅で亡くなる人はなお2割に満たない。住み慣れた場所でみなに見守られて逝くのは、望んでもかなう人の少ない最期だ。トヨはその数少ない一人だが、医者にかかれていればもっと生きられたかもしれない、という悔いもまた残る。

ここでふたたび、「看護とは何か」という問いが、りんと直美の前に立ち上がる。看護婦としての正しさと、人としての正しさ。間違えてばかりで、考え出すとわからなくなる、とこぼすりんに、直美は言う。りんだけじゃない、私もわからない、と。家に帰りたいと言った山本が、最後には生きたいと願って「助けて」と口にしたように、正しさは一人の中でも揺れる。正解も不正解もなく、寄り添いながら考え続けるしかないのだろう。

病院の内側にも、それぞれの立場がある。副院長・渡辺(森田甘路)は経営を守る役目を負い、その渡辺に、処分する側もいつか処分される側になると釘を刺す院長・多田は「人は石垣、人は城」とつぶやく。院長派とされる用務員に聞かれぬよう、英語で直美に病院の思惑を伝える黒川(平埜生成)もいる。冷たく見える者にも、それぞれの計算と迷いがあるのだ。

りんを案じた直美から話を聞き、シマケン(佐野晶哉)が訪ねてくる。もっと休めないのかと問われ、りんは首を振る。「こう見えてもこの家の大黒柱なので」。シマケンは書評にかこつけて、不器用な励ましを差し出す。この筆者はつらいときほど歯を食いしばり、笑い顔の面をつけてきたのだろう、能面ならぬ、おかめの面だ、と。おかめは醜女ではなく、福を招く女の顔でもある。その面は筆者にとって鎧のようなもの、働くため、母でいるため、大黒柱でいるために、笑って笑って笑って、と。目の縁に涙をにじませ、目を赤くして「何言ってるんですか」と口角を上げ続ける見上愛の芝居があまりに痛切で、秀逸だ。

そんなりんにシマケンは「でも僕は、そんな面はとってほしい」と言う。そこへ現れた環(英茉)が、母をいじめたのかと問い、りんが「なんでもない」と返すと、こう言う。「なんでもないとき、お母さんはそういう顔しない」。誰より近くでりんを見てきた娘が、母の面に気づかないはずがない。それでもりんは、大黒柱も悪くない、お面も好きでつけている、と笑ってみせる。

だが、患者の急変を前に、りんの手は震え、動かせない。とうとう直美が告げる。「りん、看護婦やめな」。りんの事情は患者には関係ない、外科看護取締として、今のあなたを看護婦として働かせるわけにはいかない、と。それは医療者としての判断であると同時に、友人として、りんを守るために投げたタオルでもある。返すりんの一言が切実だ。「それじゃ生きていけない。誰より直美さんが知ってるでしょ。私が働かなきゃ、環も、母上も、生きていけない」。りんにとって働くことは、志や天職である前に、環と母を食べさせるための命綱だ。そしてそれは、りん一人の事情ではない。この時代、女が自分の力で家族を養える道は、ごく限られていた。看護婦はその数少ない一つで、この仕事を離れれば、りんには行き場がない。

りんは瑞穂屋の卯三郎(坂東彌十郎)を訪ね、また働かせてほしいと頭を下げるが、断られる。環を女学校へ行かせたいというりんの望みを叶えるほどは払えない、と、りんが最初に抱いた夢をやさしく突きつけて。途方に暮れて家に戻ると、捨松(多部未華子)が待っていた。「命が怖くなったの?」と問い、捨松は場所を変えることを勧める。女学校の寮の舎監、新潟での住み込みの仕事。これが、直美が捨松に頼んでいたことだった。生きるために始め、いつしか好きになっていた看護の仕事から、りんは引き離されようとしている。疲労で現場を去ったツヤ(東野絢香)を救えず、働き方に失望して道を離れたヒデ(池田朱那)を止められず、寄り添ったつもりの山本の命も救えなかった。差し出せなかった手が、りんから命に向き合う力を奪ってしまった。まるでこれまでの学びも経験も、なかったかのように。

働けなければ生きていけない。その切実さを誰より知るのが、身寄りなく、なりふり構わず生きてきた直美だ。「やめな」の一言も、新潟の話も、りんをいったん生き延びさせるための手だてなのだろう。差し出せぬ手の週は、りんが手を引っ込めた話ではない。伸ばした手が届かなかったとき、人はどう次の手を差し出しなおすのか。その問いを抱えたまま、物語は新潟へと向かっていく。

文/田幸和歌子

 

田幸和歌子(たこう・わかこ)
1973年、長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。ドラマコラムをweb媒体などで執筆するほか、週刊誌や月刊誌、夕刊紙などで医療、芸能、教育関係の取材や著名人インタビューなどを行う。Yahoo!のエンタメ公式コメンテーター。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。

PAGE TOP