
『北国の暮らし 今を豊かに生きる家しごと庭しごと』 (Kuro/KADOKAWA)第5回【全10回】
登録者数39万人超のYouTubeチャンネル「Kuro―北国の暮らし」から生まれた書籍『北国の暮らし 今を豊かに生きる家しごと庭しごと』(KADOKAWA)。動画に無言で登場する、Kuroさんの67歳母と92歳祖母が、この本で初めてご自身の暮らしや秘訣について語っています。庭仕事に精を出し、日々の暮らしを慈しむ「始末のよい暮らし」は、まさに未来への種まき。北国の大地で培われた、穏やかで豊かな暮らしのヒントが詰まっています。日々の生活をより健やかに過ごすための知恵を、ぜひ本書から見つけてみませんか。
※本記事はKuroによる書籍『北国の暮らし 今を豊かに生きる家しごと庭しごと』から一部抜粋・編集しました。
「お母さんは今日からいないと思って」
園芸店のスタート3年めで、自宅の向かいにある倉庫を借りて店舗にしました。すべてが手探りでした。園芸店のイロハも知らず、マーケティングの言葉の意味も知らず、自分のやりたいことをやりたいようにやり、イギリスで見たナーサリーや園芸店だけがお手本でした。
新しい園芸店の評判は徐々に広がり、次第に忙しくなっていきました。朝4時前に起きて、向かいのお店で花苗の管理、事務作業をしたら、5時にいったん自宅に戻って洗濯しながら、朝食準備とお弁当作り。子どもたちが登校するより先に仕事場へ向かうという毎日で、1日16時間は仕事をしていたと思います。完全にキャパオーバーでした。

家のことは十分にできなくなり、ある日、子どもたちに宣言しました。
「お母さんは今日からいないと思って」。
ごはんはお腹がすいた人が作ること、洗濯ものは自分でたたんでタンスにしまうこと、掃除は埃が気になる人がやること、と伝えました。
この宣言が効いたのか、夫が洗濯と掃除と買いものをするようになりました。どんなに忙しくても、朝食とお弁当を作ることは欠かさなかった私でしたが、食べ盛りの子どもたちの空腹を埋める晩ごはんに間に合わない日も。そんなときは、夫がそれなりに子どもたちに作って食べさせてくれるようになりました。
子どもたちもよくお手伝いをしてくれて、茶碗洗いは子どもたちがジャンケンで決めて行っていました。末っ子のKuroに至っては、米研ぎから風呂洗いまで。特に風呂洗いが上手で、ほとんど毎日やってくれていました。今でも、Kuroは実家であるわが家に遊びに来たとき、
食器を率先して洗ってくれます。
もちろん、子どもたちに料理を教える時間などありませんでした。でも家事をすることが身についていたからでしょうか、子どもたちはみんな、ひとり暮らしをしても家事には困らなかったようです。
そんなわけで、家族の協力体制ができあがり、春先から秋までは仕事に没頭、子どもたちはほったらかしでした。特に、Kuroには母親らしいことはできなかったのですが、ママ友があれこれ世話を焼いてくれました。育ての母が何人もいたようなものです。海やキャンプも私の妹の家族や友だちが連れて行ってくれました。
子どもが4人いたというのは、仕事をする上ではとても良かった、と私は思っています。家の中に、小さな社会ができあがっていました。姉兄たち、特に長女はKuroと10歳も年が離れているため、面倒をよく見てくれました。「こんなにKuroをほったらかしていたら、不良になっちゃうよ」と長女に叱られたこともあります。
ほぼほったらかしの子育てでしたが、親同士のつながりが強固でママ友にはものすごく助けてもらったこと、仕事場が家に近かったことや、田舎であったことも幸いしたと思っています。
夫と4人の子ども、そして周囲の方々の助けがあったからこそできた仕事だと、今でも本当にありがたい気持ちでいっぱいです。
お母さんがいなくても、大丈夫 姉より
「お母さんがいないと思って」宣言の後、お母さん、本当にいなくなった! と思いました。今でも母が戻ってきたかどうかは定かではありません。父が買いものや掃除をしたり、寝坊した私をKuroが起こしてくれたり、弟たちがKuroに文字や算数を教えたり。みんなでやれば大丈夫でした。
かっこいいなって思ってた、働くお母さん(Kuro語録)
僕が物心ついた頃から、母はキャリアウーマン。幼稚園の頃、母が家にいなくて寂しくて大泣きしたこともあります。でも、小学校に入った頃にはその状況にもすっかり慣れて、働く母を誇らしく思うようになりました。ほったらかしで育ったので、自然と自立心も育まれたような気がします。






